フィン&ラケシスの次男普及委員会(仮)

子は親の鑑

子供の朝は早い。
やんちゃな子供は特にそう。
――最近、フィンはそのことを身をもって知った。

「おっはよー! らけしす、おきろー!」

やっと空が白み始めた時間帯、鶏が鳴きだすより更に早く、屋敷の静寂を引き裂いた声。
これだけの大音量を耳元で聞かされれば、普通はたまったものではない。少なくてもフィンは毎朝飛び起きている。
が、同じベッドで息子を挟んで寝ているラケシスは、いまだ寝つきよく夢の中。
髪を掻きあげながら恨めしげに息子と妻を眺めるフィンではあったが、息子は息子で父のほうは完全無視。フィンに背を向けたまま、小さな手でラケシスの肩を揺さぶっていたりする。
「らけしすー、おきろよー。もうあさだぞー」
「……んっ……ふわぁ」
瞼がぴくっと痙攣した後、大あくびを漏らしつつラケシスお目覚め。
「おはよう、ラケシス」
彼女の寝ぼけ眼に苦笑しながら、フィンもまた声を掛ける。
「あ、おはよう、フィン」
ラケシスも夫の姿を認め、すぐに優しい微笑を浮かべた。
「む」
思わず膨れっ面をしたのは、しっかり無視された二人の息子――ヴェールンドである。
「? ヴェル?」
薄く涙まで滲んだ息子の目を見つめ、不思議そうに首を傾げるラケシス。
が、ヴェールンドはしばらく何も言わずに、ぷるぷると肩を震わせているだけ。
今にも泣き出しそうなのはすぐに分かったので、フィンもラケシスも困り顔。
「ほらほら、どうしたの?」
ベッドに身を起こしたラケシスが、優しく言いながら息子を抱き上げる。
「ヴェルももう五歳になったんだから、すぐ泣いてちゃ駄目よ?」
「ないてなんかない!」
弾かれたように叫び返すヴェールンド。
「そう?」
くすっと微笑を漏らしながら、母の手が息子の真ん丸い頭を優しく撫でる。
そして……
「おはよう、ヴェル」
言葉と共に、チュッと軽く、啄ばむような『おはようのキス』。
すぐに顔を離すと、大きな目を更に見開いた息子と目が合った。どうやら何が起きたか分かっていないらしい。
だが、それも束の間の事。
先の泣き顔もどこへやら、ぱぁっと顔を輝かせて、
「おはよ、らけしす!」
と、元気よく母の胸に飛び込んでいった。
「ふふっ、まだまだ甘えん坊ね」
息子の小さな抱擁を甘んじて受け入れ、寝癖混じりのその髪を細い指で丁寧に梳いてやりながら、ラケシスは楽しげに笑った。
その背へ、
「ラケシス。いつまでもその格好では風邪をひきますよ」
「え? あ」
既にベッドから降りていたフィンは、パジャマ姿のラケシスの肩に、ふわりと上着を掛けてやる。
息子を抱きとめた格好のまま、ラケシスは肩越しに夫を振り返った。
「ありがとう、フィン」
「いえ」
薄く微笑むフィン。
――母の腕の中にある息子が、再び不機嫌顔をしていたことに、夫婦は全く気がつかなかった。




「ヴェルったら、相変わらずお母様にべったりなのね」
開口一番、そんなことを言ったのはナンナである。
くすくす笑いのその先には、ラケシスの足にしがみつく――いや、絡みつくようにして決して離れようとはしないヴェールンドの姿。
その前にしゃがみこみ、ナンナはにっこりと笑った。
手を差し伸べ、頭を撫でてあげながら、
「確かに顔はお父様そっくりだけど……お母様大好きなところまでお父様に似ちゃったのね」
「私はここまでひどくない」
名前を出され、むっつり顔のフィンが答える。
「あら、そうかしら?」
混ぜっ返したのはラケシスだ。
「最近ずーっと不機嫌なのよね、フィンってば。ヴェルが私にばっかり懐いてるせいなのか、私がヴェルにばっかりかまうせいなのか……ナンナ、どっちだと思う?」
「きっと両方です」
「…………」
ますますむすっとした顔になるフィンに、母娘は揃って面白そうに笑った。
はてさて、笑いが一区切りしたところで。
「お父様苛めはこれくらいにして。えーと、今日一日、ヴェルをお預かりすればいいんですよね?」
「えぇ」
本題を切り出したナンナに、ラケシスはこくりと頷いた。


『結婚記念日だけはフィンと二人っきりで過ごしたいから、ヴェルの世話を頼みたいの』
ラケシスがナンナに最初にそう頼んだのは、もう随分前のことになる。三人目の子ヴェールンドが生まれた年だから、五年も前のことだ。
レンスターの代表的な騎士として忙しいフィンは、元が実直なこともあり、私生活に時間を取ること自体があまりない。夫の性格をよく知っている妻ラケシスも、我侭を言って夫を困らせたりはしない。
そんなわけで、一日まるまる時間を取って二人っきりで過ごすなんてことは、この二人はあまりなかった。更に息子ヴェールンドが生まれ、『二人きり』という状況までもが皆無になった。
これにはさすがに、ラケシスも、またフィンまでもが、多少不満に思ったらしい。
それが理由で、五年前の昨日、フィンはリーフに、ラケシスはナンナに、それぞれ言ったのだ。『明日――結婚記念日だけは、夫婦水入らずで過ごしたい』と。
それを受け、リーフはフィンに休暇を許可し、ナンナはヴェールンドを預かることを快諾したのだった。


「それにしても、毎年毎年、お母様ラブ度が上がってませんか? ヴェル」
話の間も決して母から離れようとしない年の離れた弟を見、ふと呟くナンナ。
「そうなのよねぇ」
これにはラケシスも苦笑するしかない。
「懐いてくれるのは嬉しいんだけど、そのせいかますますフィンを目の仇にするようになっちゃって……フィンが父親だってこと、この子分かってるのかしら」
「ラケシスが甘やかしすぎるのがいけないんですよ」
「あら、私のせいなの?」
聞き捨てならないとばかりにフィンをじとっと睨むラケシスだが。
彼女よりもっと過敏に反応した人間が他にいた。
「らけしすをいじめるなぁ!」
両手を左右に広げ、小さな体を精一杯大きくみせながら、フィンに食って掛かったのは勿論ヴェールンド。
言葉尻から察するに、どうもラケシスがフィンに苛められたと勘違いしたらしい。
――さて。
「…………」
傍目にもはっきりと睨みつけていると分かる息子の視線を真っ向から受け止め、だが表向きは全く表情を変えずに、フィンは無造作に息子の体を抱き上げた。
「あ、なにすんだ! はなせ!」
途端に暴れ出すヴェールンドだが、抵抗空しくフィンの腕はびくともしない。
そして父は、迷わず娘を振り返った。
息子を差し出しながら、一言。
「今日一日、こいつをよろしく頼む」
「……お父様、やっぱりヴェルに嫉妬してません?」
「していない」
「でも、ますます眉間に皺が」
「いいから早く連れていってくれ。時間が惜しい」
「はいはい。さ、ヴェルおいで」
いまだにじたばたと両手足をばたつかせていたヴェールンドは、父の手から娘の手に手渡された途端、ぴたりとその動きを止めた。自分を抱えた姉の顔を見上げ、背後にいる母の顔を振り返り、戸惑った表情を浮かべる。
「ごめんね、お母様じゃなくて。今日は私が一緒に遊んであげるからね」
にこりと笑んで、改めて弟をなでなでしてあげるナンナ。
大人しくされるがままになっている息子を見、すすすっとフィンに近づいて、ラケシスが耳打ちする。楽しそうに笑いながら。
「ナンナには懐いてるのよね、ヴェルってば。やっぱりフィンが嫌いなだけなのかしら?」
「…………」
じろっとラケシスを睨めつけるフィンをあっさりと無視し、ラケシスはナンナに声を掛けた。
「お城でリーフ様と子供が待ってるんでしょう? そろそろ戻らなくていいの?」
「あぁ、そうですね。そろそろ下の子が泣き出す頃かも」
「早く帰ってあげなさい。その子のこともよろしくね。夜には迎えに行くから」
「はい。じゃ、行くわよ、ヴェル」
そのままヴェルを抱えなおして城に戻ろうとするナンナだったが……
くるりと背を向け、扉に向かおうとしたその時、ナンナの肩越しに、ヴェールンドは部屋に残る二人の姿を見た。
すなわち、出て行く息子に朗らかに手を振っている母と……その隣に当然のように立つ一人の男を。
途端――
「やだ! らけしすもいっしょがいい!」
「きゃっ」
不意に再びヴェールンドが暴れ出したものだから、抱えていたナンナはたまらず悲鳴をあげた。
「こら、ちょっと、ヴェルってば、大人しくしないと落ちちゃうわよ!」
「らけしすもいっしょじゃなきゃやだ!」
「今日はお母様はお父様と一緒にお出かけなの。ヴェルはいい子だから、お城でうちの子たちと遊んであげてね」
「やだー!」
あくまで暴れ続けるヴェールンドを抱えながら――というか押さえつけながらというほうが正しい状態になりながら、それでもナンナは止まらない。
その姿が扉の向こうに消える直前、力いっぱい叫んだヴェールンドの声が、屋敷中にこだました。

「らけしすはぼくのなの! ふぃんなんかといっしょにいちゃだめなのー!!」

が、無情にもぱたんと閉まる扉。
――幾分か静かになった部屋には、ようやっと二人きりになった夫婦のみ。
最初に口を開いたのは、ラケシスのほうだった。
「……私、ヴェルのものなんですって」
「貴女は私のものです」
即答だった。
予想もしていなかった言葉が出てきて目をぱちぱちさせたラケシスに、相変わらずのむっつり顔で、フィンははっきりと言った。
「今日だけは貴女は私が独占できる日なんですからね。ヴェルのことは忘れてください」
「またそんな憎まれ口言って。フィンったら、ヴェルのこと可愛くて仕方ないんでしょ? なのにそっぽ向かれるのが寂しいだけなのよね?」
「忘れてくださいと言ったでしょう」
「分かったわよ」
くすくす笑いながら、「私たちも出かけましょ」と早速腕を組むラケシスに、フィンは短く「そうですね」と答えただけ。
だけど、その不機嫌な表情も、どこまでも頑固な性格も、全部ヴェルにそっくりで……そんな子供っぽい彼もまた可愛いと、ラケシスは思うのだった。

ヴェルのイメージぶち壊しだったらごめんなさい(汗)
某4コマ漫画では、お父様激ラブなナンナがツボだったので・・・弟はお母様激ラブな設定にして遊んでみたらこうなりました。
息子小説じゃなくフィンラケ小説のノリになってしまったんですがいいんですか?と聞いてみたら、全然かまわないとのことでしたので、そのままの路線で書いてみたお話です。