フィン&ラケシスの次男普及委員会(仮)

Boys be Ambitious!

「ヴェルは、将来何になりたいの?」
今より少し幼い頃、母に幾度となくそう尋ねられたことを覚えている。
騎士の家に生まれた。父も騎士だし、年の離れた兄も姉も騎士の道を辿った。母にいたっては、なれる者は稀有とさえ言われる『全てを成す者』の称号まで授かった人だ。
環境が環境だからか、僕自身、騎士になるのが当たり前だと思っていた。何を得物とするかはまだ決まってはいなかったけれど、ただ騎士になるということだけは、ずっと昔から決まっているようなものだった。
だから、幼い僕は尋ねられるたびに、いつも迷いなく答えていた。

「きまってる! ぼく、きしになるんだ!」


けれど。
時は過ぎ、もうじき八歳となるある日、僕は父に呼び出されてこう言われた。
――思ってもみなかった言葉だった。

「私は、お前に騎士になってほしくない」

父は言った。騎士とは決して易しいものではないと。
……耐え難い茨の道だと。
「騎士道とは、個を捨てる道だ。自らの全てをかけて主を立て、尽くさねばならない。命すらも例外ではない。それが主君のためならば、時には笑って死地に赴かなければならない」
現にそうして死んだ人間を、私は一人知っている――呟かれたその言葉は衝撃であり、初めは嘘じゃないかとも思った。
が、どことなく苦しそうに目を閉じた父の姿で、それが真実であると知った。
そんな覚悟は自分にはない……そう思って、怖くなった。
「ヴェル……いや、ヴェールンド」
重い声で呼ばれ、びくっと震えた。
情けないなんて思う余裕すらなかった。
父の目は、真剣そのものだった。
「お前の兄と姉は戦時に生まれた。二人は騎士になることを選んだが、それは戦わなければならなかったからだ。……けれどお前は違う。今、世界は平和なのだ。その中で、わざわざ辛く危険な道を選ぶことはない。お前は望めば、平穏な人生を歩むことだって出来る」
そして、一呼吸を挟んで……
静かに続けた。
「お前は……どうしたい?」


「自分で考え、決めなさい」――父の言葉を背に、僕は父の部屋を出た。
期限は、僕の誕生日。
それまでに、自分の納得する答えを見つけろと。
辛さを受け入れて騎士の道に入るか。
危険もないけど刺激もない、ごく普通の生を歩むか。

『ヴェルは、将来何になりたいの?』
母の声が、耳に蘇った。
逃げるように、僕は耳を両手で塞いだ。

「騎士になりたい」――たった一言が、どうしても口から出てこなかった。




それから数日は瞬く間に過ぎた。
翌日はいよいよ八歳の誕生日――けれど、僕はやっぱり迷っていた。自室のベッドに転がって、考えてはため息を漏らすばかりだった。
そんな時、

コンコンッ

「ヴェル、いるの? 入るわよ?」
「? 母上?」
予想外の来客に驚き、勢いをつけて上体を起こしたと同時、部屋に一つの扉が開く。
その向こうから覗いたのは、腰まで届く金糸のような長髪。
母――ラケシス。
「今大丈夫? ちょっと頼みたいことがあるの」
「別にいいよ。何?」
「アグストリアのデルムッドから、フィン宛に手紙が来たのよ。フィン、今日は城に泊まりだって言ってたから、届けてあげてくれないかしら?」
「はーい」
ベッドを降り、サイドテーブルに置かれていた上着を羽織ながら、戸口に立つ母の元へ。
――が、そのすぐ前に立っても、母はしばらく動かなかった。何をすることもなく、こちらをじっと見つめているだけだ。
僕よりまだ少し背が高い母。年の離れた姉と鏡のように似ている母。
「? どうかした?」
首を傾げながら尋ねる。
……と。
「ふふっ」
そのほっそりした手が、僕の頭をくしゃっと撫でた。
どこか楽しげに、ほわりと笑った。
「髪、寝癖ついてるわよ。ちゃんと梳かしてから出掛けなさいね」




レンスター城の門扉をくぐったところで門番に尋ねてみたが、父の行方は分からなかった。
その代わり、南北トラキア王国妃であり僕の実姉でもあるナンナ姉上のいる場所を教えてもらった。
門番の言葉通り、姉は城の最上階――王室専用の自室にいた。
赤ちゃんのおしめを変えてたみたいだった。
「あら、ヴェル。一人で来たの?」
そう言って笑った顔は、ほんとに母そっくり。
「うん。父上を探してるんだ」
「お父様? なら、えーと……この時間なら、うちの上の子と一緒だと思うわ。槍を教えているはずだから、北の訓練場にいると思うけど。道、分かる」
「んー、多分大丈夫」
自信はないけど、北がどっちかは分かるから、きっと平気だろう。
「ごめんね。案内してあげたいけど、ちょっと手が離せなくて」
「ううん。ありがと」
「迷いそうだったら、近くの兵に聞いてね。……きゃっ! ちょっと、まだ暴れちゃ駄目よ!」
「ふぇぇぇっ!」
パタンと閉じた扉越しに、赤ん坊のけたたましい泣き声と慌てたような姉の声を聞きながら、僕は廊下を歩き出した。




どのくらいかかったか分からないけれど、どうにかこうにか訓練場に着いた。
まだ父の姿が見えなかったので、奥へ奥へと入っていった。
……そうして歩くこと一分ほど。人の垣根の向こうに、何とか声を聞き分けた。
「甘い!」
初めて聞くほど緊迫した――けれど間違いなく父の声。
そして、

バシッ!

「痛っ」
明らかに何かを叩いた音と、くぐもった悲鳴。
思わず首を竦める。足も止まる。
――刹那の静寂の後、再び声が聞こえてきた。
「いたた」
「どうも、攻撃に集中しすぎると防御が疎かになるようですね」
今度は、いつもの父の声だった。低くて静かで。……となると、もう一つの声が王子のものだろうか。
けれど、相変わらず姿は見えない。
「ちょっと、通して。僕にも見せて」
人垣をかきわけて……というよりも、隙間隙間を縫うように進んで、ようやく視界が開ける。
人の群れがぐるりと取り囲んだ中心。そこにいたのは、茶色の髪をした少年と、紛れもない父――フィン。
こちらには気づかない様子で、父は槍代わりの木棒を持ち直した。
「攻めの形は悪くないのですが、これではよくて相打ちでしょう。少し受けの練習に重点を置きましょうか」
「うん」
少年も馬上で棒を構える。
また、父も馬を操って距離を取る。
向かい合う二頭の馬。父の出方を窺う王子と、その隙を探る父と。
――と、

(……あ……)

思わず声をあげそうになったけれど、実際は全く出てこなかった。
ぽかんと口を開け、僕はその光景に見入っていた。



繰り出される棒の軌跡が、目で追いきれないほど鋭かった。
大して手綱を繰ってもいないのに、馬はまるで手足のように従っていた。
飛び散る汗とはためくマントと引き締められた表情に、視線がどうにも引き寄せられて瞬きすらできなかった。
心臓がどきどきして止まらない。
息をすることも忘れてしまいそうだ。

(これが……)

こんなに真剣な父を見たことがない。
こんなに圧倒的な父を見たことがない。
こんなにかっこいい父を見たことがない。

怖れも、迷いも、感動が全て塗りつぶして。
残った思いは――ただ一つ。

(これが……騎士なんだ……)



「……ん?」
小さなものだったはずなのに、妙にはっきりと聞こえた声。
それと同時、父と目が合った。
声の主も父だった。
振り上げた棒を降ろし、今にも駆け出そうとした馬を減速させ――止まらせて、父はこちらを向いて言った。
「ヴェルじゃないか。どうしたんだ? こんなところで」
「あ……」
『手紙を届けに来たんだ』――その言葉が、なぜか出てこなかった。
それだけじゃない。思い浮かべたどの言葉も、声として発することは叶わなかった。
喉が震えるばかりの間、父は王子に一言告げて馬を降り、こちらへと歩いてきた。
目の前に立ち、中腰になり、不思議そうに僕の顔を覗きこんだ。
――思わず叫んだのは、考えていたのと別な言葉だった。

「僕、騎士になる!」

「ヴェル……?」
面食らったように瞬きする父に、重ねて言った。
「もう迷わない! 僕、父上みたいな騎士になりたい!」
「……決めたのか?」
「決めた! いっぱい考えて、父上に言われてからずっと考えて! ちゃんと自分で決めた!」
「…………」
ふと口をつぐんで、父はこちらを見下ろした。
反対されるかな……と思うとちょっと不安だったけど、両手を握り締めて懸命に耐えた。
と、
「そうか」
口元を緩め、父は笑った。
伸びてきた手が、僕の頭をぞんさいに撫でる。
母上よりもずっと大きな、骨ばった手――
「辛くても頑張れるか?」
「うん」
「後悔しないか?」
「うん」
「絶対諦めないと約束できるな?」
「うん!」
「……よし」
父はとても満足そうに、笑顔で一つ頷いた。
僕の髪をぐしゃぐしゃにかき回して、言った。
「びしばし鍛えてやろう。覚悟しておけよ」
「うん!」




――もう怖くない。もう逃げない。
自分で決めた……生きる道。
口には出さず、心の中だけで決意した。

(いつか、父上よりも立派な騎士になってみせるよ!)

オリジナル色ものすごく強いですが。ヴェル坊8歳ver.です。
ヴェル、年を経るごとにオリジナル一直線になるんですがいいんでしょうかね・・・
5歳児ver.との差も随分出てますがそこは気にしないでください(爆)
父親他、母だの姉だのが出てるのはただの趣味です(笑)