- Fire Emblem 私設二次創作サイト - 

この手が触れるまで

向かい合いながら、二人、願っていることは同じこと。
……例えその意味が、二人の間で違っていたとしても。

この距離を、もう少しだけ、と。

「女性に近づくことが出来ない……ならばまずは、どこまででしたら平気なのかを確認いたしましょう」
普通の方法を考えますの――事前にそう宣言されていたこともあり、何を言い出してくるかと身構えていたロンクーに対し、マリアベルがそう提案したのが、もう二か月近くも前のことである。
女性嫌いを克服すること。それは、ロンクーにとっては長らく果たせなかった課題でもある。それをどうやってか助けたいと、彼女はロンクーに申し出た。そのための方法を考えると約束し、そして、数日後に呼び出しを受けた。
彼女は少し離れてロンクーの前に立ち、その表情を窺い見ながら、一歩一歩確かめるように歩を進めた。
一歩。立ち止まり、また一歩。
そして、
「この距離ですのね」
不意に立ち止まる。……どうやら、ロンクーが無意識に身を引こうとしたのを見抜いたらしい。
平常と異常の境界線。避けるタイミングを逃して微妙な心地を覚えたロンクーに対し、マリアベルはふふっと楽しげに微笑みを浮かべた。
「ではロンクーさん、明日から毎日、この距離で私とお話をいたしましょう。この距離に少しでも慣れることですわ」
――つまり、そうやって『訓練』は始まった。

毎日、夕食を済ました頃合いに、マリアベルはロンクーを呼び出した。
そこからの流れは日々同じだった。一定の距離を保ったまま、軍から少し離れた、人の気配の薄い場所まで歩く。そして、先日確かめた距離まで寸分の互いなく近づき、適当な会話を交わす。
話題は特に決まってはいない。が、雑談と呼んで差支えないレベルだった。そして、八割以上はマリアベルが一方的に話していた。
実家のこと、友人のこと、自警団のことに、美味しい紅茶の淹れ方……
半刻ほどもそうして過ごし、それだけで『訓練』は終了だった。

半月ほどもそれだけを繰り返した頃だろうか。
こんなことで効果があるのかとロンクーが疑いを抱いたのを見計らったように、先んじてマリアベルが言った。
「お気づきになりまして?」
「何がだ?」
「わたくし、今日はいつもより少しだけロンクーさんに近づいておりますの」
「!」
「本当に少しだけですけれど。どうです? ご気分を害しまして?」
気づかなかった。
だからだろうか、体が無意識に反応することもなかった。
「大丈夫のようですわね」
驚くロンクーをいつものように正面から窺い見、いつものようにマリアベルは微笑んだ。
どこか面白そうな、どこか得意げな、そんな笑い方だった。
「驚くことはありません。毎日繰り返していたのです、少しずつ慣れてきたということですわ。さぁ、今度はこの距離に慣れることにいたしましょう」

その翌日からは、『訓練』に新たなメニューが追加された。
会話をするところまではそれまでと同じ。問題は最後だ。
「これからは毎日、どこまで近づけるようになったか、距離を確認することにいたしましょう」
要するに、無意識に体が拒否反応を示す距離を毎日測り直す、ということだ。ぎりぎりの距離に慣れることで少しずつ近づくことができるようになるのなら、その距離は毎日変化するはずだ、という論理である。
また、そのための方法についてマリアベルは、
「ロンクーさんのほうから近づいてくださいな」
という注文をつけた。
そして、思わず眉根を寄せたロンクーに、
「そのほうが、女性嫌いを克服する効果も高いというものです。いつまでも受け身ではいけませんわ」
と釘を刺すことも忘れなかった。
そのため、ロンクーは苦手意識を懸命に堪えながら、どうにか彼女に近づいてみる、ということを毎日繰り返すことになった。

『訓練』を続けた二か月の間、話題は尽きることがなかった。
マリアベルはいつも豊富な知識を披露した。話術にも長けていた。最初のうちこそ効果を疑うなどロンクーもそこまで乗り気ではなかったのだが、いつの間にか、彼女との会話の時間を不快に感じなくなっていた。
彼女に促され、時たまロンクーも話をした。だが彼女の話の引き出しとは違い、決して話題は多くはなかった。そしてそのほとんどが戦から切り離せないものだった。……自分で話していて、ロンクーは歯噛みしたい気持ちすら覚えた。
それでも、マリアベルは嫌がらずに、いつも真剣に話を聞いた。いちいち相槌を打ち、表情をくるくると変え、時たま質問をしたりもした。
そして最後には、いつもの微笑みを浮かべながら、
「さて。さぁ、今日も頑張りましょう。どうぞ、近づいてみてくださいな」
などと言い、『今日の距離』を測ることを促すのだ。

――二か月。それだけの時間が掛かった。
彼女にあと一歩、手を伸ばせば届く距離まで近づくのに要した時間。他から見れば、無駄の一言で切り捨てられてしまいそうな。
けれど、彼女は――マリアベルは、最後の最後まで一度たりとも、そんなロンクーを馬鹿にせず、どこまでも真剣に、『訓練』に付き合い続けてくれた。

「さぁ、どうぞ、ロンクーさん」
いつもの時間の、いつもの最後。
「あ、あぁ」
多少上ずりながらも頷くと、マリアベルは微笑みながら、そっと目を閉じた。
あと一歩の距離。ここまで近づけるようになるまで二か月。……それでも、二か月前の自分では考えられなかったような、大変な進歩である。あくまで、ロンクーから見て、ではあるが。
――ここから、更にもう一つ。
昨日は無理だった。歯の奥を噛みしめ、無意識に震える手を持ち上げ、そこで我慢の限界だった。
だが、今日は、
「もう少しですわ。頑張ってくださいな」
心境を見透かしたように、マリアベルの声。……間近に見下ろす彼女の顔は、心静かに微笑みを湛え、ロンクーの次の一手を待っている。
閉じられた瞼の際に長い睫毛。小顔に整然と並べられたパーツは、美的センスの薄いロンクーから見ても、十分に美しいと評することができるものだ。
それに……とても清らかで、警戒心のない微笑み。
「…………っ」
否応なしに意識した途端、顔を出しかけた病気――だが、それを抑えることができるほどの気持ちもまた、ロンクーの中には生まれていた。
その気持ちの後押しを受けて、ロンクーはゆっくりと手を伸ばした。
そうして……指先に、かすかな感触。
触れるか触れないかという微妙な接触は本当に一瞬で。けれどそれでも、彼女の頬の暖かさをロンクーに伝えるに十分だった。
同時に……彼の指先の冷たさを、マリアベルに伝えるのにも。
「上出来ですわ!」
閉じていた瞼をぱちっと開き、マリアベルはロンクーを見上げて嬉しそうに笑った。
「ちゃんとわたくしに触れましたわね。ふふっ、冷たい指でしたわ」
「あぁ……しかし、やっと頬に触れた程度だ」
自覚もあった。これだけの時間をかけて、彼女にこれだけ協力させて、たったこれだけの成果かと。
近づくことはできるようになった。だが僅かに触れるだけでもこれほど緊張する。どれほど深いトラウマだと、自分に嫌気すら覚える。
先は長い。長すぎるほどに。
「……付き合わせてすまない」
「わたくしはかまいませんわ」
思わず零れた謝罪の言葉を、マリアベルはあっさりと受け流した。
と、不意に、気遣うような表情を見せる。
「気になさっておいでですの?」
「…………」
「では、ロンクーさんがお気になさらないように、体制を変えてみましょうか?」
「? どういう意味だ……?」
「長期にわたって協力できる体制をとろうということです。わたくしと結婚して一緒になれば、いつまでもお手伝いができます」
「な……っ」
不意に飛び出したとんでもない発言に、知らずロンクーは半歩だけ身を退いた。
それを見咎め、マリアベルが言う。
「駄目ですわよ。折角この距離まで近づけるようになりましたのに」
「それは……お前がくだらない冗談を言うからだ」
「冗談だと思いまして?」
「……冗談じゃないなら尚更だ。お前がそこまでしてこの訓練に付き合う義理もない」
「冗談でも義理でもありませんわ。このようなこと、そのような軽い気持ちでわたくしが申し上げると思いますの?」
いつもより半歩だけ離れた距離。真っ直ぐに見つめてくるマリアベルの、燃えるように赤い瞳。
そこで……ロンクーは気づいた。
彼女はいつでも真剣だった。ロンクーと向かい合うとき、彼女はいつでも、真剣で、真摯で。雑談の中で冗談を言うことはあっても、『訓練』そのものにそれを持ちこむことはなかった。苦しむロンクーを一度として馬鹿にせず、笑いすらもしなかった。
いつでも一心に、真剣な気持ちで、向き合ってくれた。
なのに……その気持ちを疑うような、失礼な言葉を。
「そうだな……すまない」
「わたくしにここまで言わせたのです。あなたのお気持ちも聞かせてくださる?」
「…………」
刹那、言葉に迷った。
伝えるべき気持ちはあった。いつしか心に生まれていた、彼女に対する温かな気持ち。口に出せないような半端な気持ちでは決してない。
ただ、自分に、それを伝える資格はあるのか、と。
一瞬だけ悩んで……だが、こちらを見つめる真摯な瞳が、それを瞬時に打ち消した。
「俺も、お前のことが好きだ。まともにお前に触れもしない俺だが、この気持ちに偽りはない」
「……その言葉が聞きたかったのです」
ロンクーを真っ直ぐ見つめたまま、マリアベルが再び微笑んだ。
いつもと同じように穏やかで、いつもより少しだけ華やいだ、笑顔。
「焦ることはありませんわ。時間は幾らでもあるんですもの。わたくし、待ちますわ。ずっと」
「ありがとう……マリアベル」
最も言いづらいことを先に言ってしまったからだろうか。続けた言葉は、幾分か素直に口に出せた。
と、マリアベルが、少し驚いた顔をした。
「? どうかしたか?」
「……いえ、大したことではないのです。お気づきでないのも無理ないですわね」
自分に言い含めるように、少しの間を挟んで、
「ロンクーさん、今初めて、わたくしを名前で呼びましたの」
「そうだったか?」
「えぇ。わたくし、とても嬉しいですわ」
「そうか」
そんなことすらしていなかったのか……この二か月、これほどの時間を共に過ごしてきたというのに。
だが、彼女はすぐにそれに気がつく。対して、気づきもしなかった自分。愚かにもほどがある。
……それでも、彼女は共にいてくれた。
その気持ちが、胸の奥に心地よく収まる。
「マリアベル。もう一度だけ、訓練を頼みたい」
「あら、どうしてですの?」
「お前と手を繋ぎたい。手を繋いで、町へ行こう。指輪が、必要になるだろう」
「……ふふっ、分かりました。さぁ、どうぞお早く、ここまで来てくださいませ」
「あぁ」
半歩だけ退いていた体を、元の距離に縮めて。
幾分か震えの和らいだ手を上向け、彼女に向けて差し出した。
……その意図は、察しの良い彼女のこと、すぐに伝わったようだった。
「今回だけは、特別ですわよ」
これもまた『訓練』か。
けれど少しだけ譲歩してくれたらしいマリアベルは、そう言いながら、差し出した手に自分の手を重ねてくれた。

二人の距離を測るのは、いつもとても楽しかった。
毎日、ほんの少しの成果。けれど、確実に近づいているのが分かったから。
見ていれば分かる。彼は、とても苦しんでいた。そして同時に、とても一生懸命だった。
そうして、少しずつ、少しずつ。

たとえ、彼にとっては、それが『女性』に近づくことを目的としていても。
わたくしは、わたくし自身との距離が縮まることを感じ、それを嬉しいと思っていた。
――いつか、その手がわたくしに触れることを、長く長く待っていた。

だからこそ、想いが通じたこの喜びは……この手を通して、あなたにもちゃんと伝わっているだろうか。

お楽しみいただけましたでしょうか? >>>