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紫露草

胸の奥にほのかに灯り、いつしか燻り始めた何か。
それは、小さな痛みという姿をしていた。

それは、私の生理行動を阻害するもの。
脳の働きに十分な栄養は欠かせない。そうと知っているはずの自分が、食事を満足に摂ることができない。食欲は人間を含めた動物の本能であるのに、この痛みはそれを阻害し、思考活動すらを鈍らせる。
空腹とは別に何かが胸に詰まっているようで、不思議な感覚だ。

それは、私の思考を鈍らせるもの。
理論とは、確かな事象を積み重ね、その合間に筋道を立てること。組み上げられる論理はいつも正しく整然としており、私はその美しさの中に、世界の全てを支える定義を垣間見る。
だが、この痛みに伴う事象は、どれだけ積み上げても合間に筋道が見えてこない。

それは……私の論理を狂わせるもの。

母の本を紐解いても、考察に考察を重ねても、その名前を見つけられずに。
答えを得られないままいたずらに過ごした日々は、およそ自分らしくなくて。

……だから、貴方に尋ねたい。
この問いの答えを、どうか、私に教えてください。

「街に出かける……それにより、絆が強まる……」
物事を整理するために、物事の反芻は欠かせない。それが身近に起こったことであれば尚更のことだ。
事象を事象として認識できない場合、得てして、最も可能性が高いのは己の見落としである。認識の不足。十分な認識を持つことができなければ、たとえそれが現実であっても、理論を構築する上では確かな根拠とはなりえない。
だからミリエルは思い出す。一連の事象を形作る事柄をつぶさに、一つ一つ。
事象の原点はどこか。変化はあるか。影響を与えるオブジェクトは。分岐点は。
そうした思考の迷路の末に、自分が求めるものがある……強く強く、そう信じて。
「一緒に話す。楽しく歩く。仲良くなる。それが絆を強める……」
それは、今自分がぶつかっている命題の中で、おそらく最も難しい問題。

この胸の痛みの正体は、何か。

「やはり、あの時出かけたことが、変化の起点であると考えるのが自然です。ということは、それによって私の心に変化が起き、この痛みが生まれた、ということでしょうか。……ですが、いくら思い出しても、あの時したことに特別な何かなどない……」
思い起こす。ある日、ある男性に、半ば強引に街に連れて行かれたときのことだ。
整理すべき事象は決して多くない。頭から尻尾までよく覚えているが、特記するようなことは少ない。
観察のために少し後ろを歩こうとしたら、「なんで並ばないんだよ」と言われ、仕方なく横に並んで歩いた。
例によって『直感』で物を答える彼の言葉に、なぜだか自分の思考が思いもしない方向に広がっていき、世界が開けていくような感覚を覚えた。
通りの店で食事をした際、その辺りの特産品を煮詰めて作ったというスープの味の深みに、大変な興味を惹かれた。
……たったこれだけのことに、見落としなどするだろうか。あるだろうか。
「そもそも、この心がどのように発生したかも、私はまだ突き止めてはいません。何が原因であったのか……それこそが、絆の生まれるきっかけであったはずなのに、私は忘れているようです。なぜでしょう……」
「何をぶつぶつ言ってやがんだ?」
「っ」
「よう、ミリエル。相変わらず難しいこと考えてやがんのか」
心拍数が跳ね上がった。なぜ?
決まっている。彼が話しかけてきたからだ。それが不意をついたから。
この答えは理にかなっている。きっと正しいのだろう。
「こんにちわ、ヴェイク……さん」
動悸が収まらない。なぜ?
いや、一般的に、平常心を取り戻すには時間がかかる。彼に不意をつかれてから、まだ幾許も経っていない。
動揺している、それは事実として認めなければならない。
「さんはいらねーって言っただろ? ダチなんだからよ、少しは馴れ馴れしくなってみろって」
ヴェイクは堅苦しそうに体をほぐしてみせながら、そんなことをのたまった。
言葉の堅さを体に置き換えて緩めようとする……その行動は、理論的にも正しいのだろうか。考えをまとめるには時間がかかりそうな命題だ。
それに、『ダチ』――トモダチ。以前にも彼は自分をそのように評価した。その定義は? 私は彼に何をもって『ダチ』と思われたのだろう。
彼について、疑問は尽きない。
だからこそ、彼は興味深い。
「そう言われましても……」
「なんだ? お前もしかして、恥ずかしがってんのか?」
「まさか、貴方に対してそのような」
恥ずかしい――羞恥? 違う。この感情に相応しい名前を、私は以前に結論付けた。これは興味。彼にもそう伝えたはずだ。
だが……刹那だけ考え、頭から否定することは愚かだと思い直した。
彼の『直感』は自分に新たな見識を与える貴重なもの。それを否定するとはどういうことだ。視野は常に広くあるべきなのに。
私らしくない。改めなければならない。
「いえ、そうなのかもしれません」
「はぁ!?」
態度を改めて答えると、なぜかヴェイクは大仰に驚いてみせた。
不思議なものだ。彼の言葉を肯定しただけなのに、なぜか彼には驚きの言葉だったらしい。なぜだろう。
それとも、彼の今の言葉は、驚きを表したものではないのだろうか。ならば何を表現したかったのか。
「……今日のお前、変だぞ。なんか変なもんでも食ったか?」
心配そう……というよりは、怪訝そうな顔をして、ヴェイクはそう聞いた。
また不思議なことを言う。
変なものを食べると食べた者も変になる、その根拠は何だろう。おそらくは経験? 彼はそのような場面を見たことがあるのだろうか。
ともあれ、聞かれたことには答えなければならない。
問いには答えを。会話の基本だ。
「いえ。ここのところ、あまり食事を摂っていないものですから、そのようなことはないと考えます」
「なんだ、飯食ってないのかよ。道理で変なはずだ。どっか悪いのか?」
「どこか……強いて挙げるなら、胸でしょうか」
食欲減衰の原因は、この胸の痛み。
なら、この胸の痛みの原因は? ――答えはまだ得られていない。
小さな痛み。今なお胸を締め付けている。
その影響だろうか、動悸が収まる気配もない。今度こそ、時間は十分に経っているはずなのに。
「この前出かけた時のことや、その前に貴方と話したことなど……貴方のことを思い出すと、胸の辺りが痛むのです。これが、絆が強まった証なのでしょうか。まだ明確な答えは得られていません」
「なっ! お、お前……っ」
「?」
今までで一番大きな反応。見れば、ヴェイクは目を剥かんばかりの顔をしていた。僅かに頬を紅潮させ、まるで信じられないものを見たかのように目を見開いて……そうして見ているのは他でもない私だ。
だが言葉がそれ以上続く気配はなく、となれば、これまでの状況から今の彼の心情を察しなければならない。
『お前』と言うからには、私の言葉が彼の反応を誘ったのだろう。言葉――胸の痛みの話。それが彼の驚きを誘った。
なぜだろう。事情を把握するには、分からないことが多すぎる。
「どうかしましたか?」
「い、いや……お前、それは、絆じゃなくて! えっと、その、もっと別の何かだろ」
「!! この痛みが何なのか分かるのですか?」
意外な答えだ。彼にはすぐ分かったということか。例の直感か。
本当に興味深い。私の分からないことを、彼は閃きだけで見抜いてしまう。
「教えてください! 貴方に分かって私に分からないなど、屈辱以外の何物でもありません!」
「……さり気にひでぇこと言ってんな。まぁ、気にしないでいてやる」
どうもこちらの言い分に納得できなかったらしく、途端に苦虫を噛み潰したような顔をするヴェイク。
気になったのであれば納得いくまで理由を説明してもよかったのだが、気にしないと言われたので口に出すのは控えるべきだろう。
「いいか、ミリエル」
「はい」
表情を改め、切り出した彼。
なぜだか心が騒ぐ。なぜだ。ようやくこの胸の痛みの理由が分かるからか。
それとも……別の理由か。

「それは愛だ! つまり、お前が俺様を好きってことだ!」
「!」

『愛』――
それは、母の書にいわく――おそらく、人の感情の中で最も筆舌しがたい感情。
絆などより遥かに強く、けれど時に脆く。熱さと冷たさを同時に秘め、様々な人間模様を成し、様々な形を取って表されるもの。
時と場合、必然と偶然、人物とその感情……多くのものに作用されて揺れ動く、酷く不確かなもの。
(この痛みの理由……この心の名前……これが、『愛』?)
ともすれば、
「それもまた、興味深いものです」
「って、なんだそりゃ」
「本心です。絆の確認には失敗しましたが、代わりに愛について観察できる。母の書によれば、愛とは絆などより遥かに理解しがたいもの。それについて考察を深められるのであれば、私にとって十分に価値があります」
「……相変わらず変わった見方すんな、お前」
「ですがそのためには、貴方の協力が不可欠となります、ヴェイクさん」
この痛みは彼に関わったときにだけ発生する特殊なもの。それが『愛』なのであれば、彼はそれを発生しうる大事な要素となる。
自分だけでは足りない。
この心……この感情の観察を続けるためには、
「どうでしょう? この愛の観察のため、是非、貴方の協力をいただきたいのですが」
「あぁ? はぁ……そうか、そういう言い方になんのか」
お前も素直じゃねぇなー、と、やっぱり分からないことを呟くヴェイク。
分からないことだらけの男性――この感情は興味。それは確かだ。
だが……その『興味』の影に、例えば別な感情があったとしても、それは論理を破綻させるものではない。
おそらく、そこに、彼の言う『愛』が隠れているのではないか。
「ま、俺様もお前のことは嫌いじゃねぇし、お前の観察とやらに付き合うのも悪くはねぇな」
「では、ご協力いただけますか?」
「あぁ。なんなら、このまま結婚しちまうか?」
「結婚? 私と貴方が?」
愛が育まれた先にその言葉が存在することは、当然のことながら知っている。深く愛し合った男女は結婚によって共にある将来を確約し、そこからは二人で未来に向かって歩いていく。
――という知識からすれば、
「では、ヴェイクさんも、私を愛しているということですか?」
「はぁ!? なんだよいきなりストレートに!」
「結婚とは、男女が愛し合うことが前提の行動のはず。私のこの感情が愛というものであるなら私は条件に適いますが、ヴェイクさんはいかがなのかと」
「……あのなぁ。こんなこと、そうでもなけりゃ口にするもんでもないだろ」
「そうなのですか?」
「そうなんだよ」
言いきられてしまった。論理としては理解しがたいものがあるが、妙な説得力もある。
一方で、彼の表情が若干疲れて見えるのはなぜだろう。
ともあれ、ならば、条件は揃っているということだ。
「そうですね。結婚……この事象の観察には好都合です」
「ははっ、最後までお前らしい言い方だな。そんじゃ、指輪でも買いに行くか!」
「指輪ですか?」
「あぁ、結婚には指輪が付き物だろ?」
「確かにそのような習慣はあるようです。しかし、理由は分かりかねます。結婚相手に指輪を贈りあう……それは愛の証としてですか? それとも、指輪をつけさせることで己の支配欲を満たすためですか?」
「おま……っ、なんつーこと言うんだよ!」
ヴェイクが急に声を荒げる。
この反応は、相当に的外れだったということか。……しかし、他に相応しい理由といわれても、なかなか思いつかない。
「違うのですか? では何のためでしょう」
「決まってんだろ! 俺様の指輪はなぁ、愛と絆と正義の証なんだよ!」
「正義……私と貴方の関係を語るのに、その言葉は今初めて聞きました。なぜ唐突に出てきたのですか?」
「……だから、いちいち適当に言ったことを掘り下げようとすんなよ……」
再び疲れたようにトーンを落とし、だが、それも一瞬だった。
「もういい! 早く指輪買いに行くぞ!」
「……はい」
促され、答える。問いには答えが必要だから。
歩き出す。一瞬だけ後ろに下がろうとして、思い直して横に並ぶ。心が変化したあの時のように振る舞えば、同じ結果が得られるかもしれない。
現に……胸の動悸は鳴りやまず、胸の奥に何かが詰まっているような感覚も継続している。

……対して、胸の痛みは、若干薄れただろうか。

(なぜでしょう……)
とても興味深いことだ、と思った。

分からないことだらけで、不思議で、理解しがたい男性。
感情のままに表情を変え、大仰に振る舞い、豪快に話す男性。

一生をかけての観察は、のちに、正しい理解に至るだろうか。不確かであるはずの『愛』を、確かなものとして証明できるだろうか。
その疑問の答えもまた、今のミリエルは持たない。彼女の『愛』は始まったばかりで、客観的に事象を整理するには関連する事象そのものが足りなすぎる。

……それを積み上げていくことになるこれからに、大きな期待を抱く自分がいることも、そう考えれば納得できる。
小さな事象の積み重ね。それが、証明への近道となるだろう。

だからこそ。これから先、彼と重ねる時間は、どんな小さなものであれ、とても大事な意味を持つ。
これもまた、非常に興味深いことだと思えた。

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