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一欠片の幸せ

「――んん……っ」
瞼越しに感じる、朝の柔らかな光。
僅かに乱れた布団の隙間、冷気が首筋へと入り込んで、一つ身を震わせる。
無意識に布団を引き上げて、もう一度丸くなる……
と、
「ラケシス、もう朝ですよ」
妙に呆れ返った声を、先に目覚めていた聴覚が聞き取って。
今度こそラケシスは、ぱっちりと目を開いた。
首を巡らせ、声の主を探す。
……すぐ真上に、青い瞳。
「おはよう、ラケシス」
くすりと小さく笑いながら、フィンの声が落ちる。
対して、ラケシスは、
「……おはよ、フィン」
ぱちぱちと数回目を瞬かせた後、ようやくそう口にすることが出来た。
何のことはない、驚いたのだ。……誰だって、起きて目の前に逆さまの人の顔があったら、普通は驚くことだろう。ラケシスもご多分に漏れなかっただけにすぎない。
フィンが頭を引っ込めるのを待って、彼女もまた身を起こす。
振り向いて、彼の姿を確認する。
「ねぇ、フィン。あなた、いつから起きてたの?」
彼は、とっくに着替えていた。いつもの騎士服に白のマント。胸の辺りには上級騎士を示す騎士勲章がきらりと光っている。
声にも、瞳にも、表情にすら、眠気は一切感じられない。まだ早い刻だというのに。
「いつも何も、つい先程ですが」
「嘘。もう準備万端って感じじゃない。昨夜なんて、私が寝てから帰ってきたんでしょう? ちゃんと寝たの?」
「寝ましたよ」
「本当に?」
「本当です」
「もうっ」
生真面目な顔はいつものこと。軽々しく嘘をつくような人でもないことは知っているが、もしこの顔のまま嘘をついていたとしても、絶対に見抜けないとラケシスは思う。
ともあれ、これ以上同じ質問を繰り返しても意味がないのも確か。
……というか、繰り返そうにも出来なかった。
フィンが扉に向かったからだ。
「フィン?」
「先に出ます。そろそろ城に行かなければなりませんから」
「え? まだ早くない?」
「昨日の仕事のやり残しがあるんです。早めに片付けてしまわないと」
「だって、朝ご飯もまだなのに」
「後で適当に食べますよ」
にべもなく告げて、「貴女はちゃんと起きてくださいね」と言葉を残して。
もう言うことはないとばかりに、フィンの姿がさっさと扉の向こうに消え――

「ちょっと待ってってば! フィンったら!」

「……何ですか?」
少し怒ったような声が気になったのか、彼は戸惑ったように足を止めた。閉じかけた扉を再び開き、様子を窺うように顔を覗かせる。
その目を見返して、
「ねぇ、明日は休みだったわよね?」
「……はい、そのつもりですが」
「絶対よ? 絶対帰って来てよ?」
「分かりました」
こくりと一つ頷きを返し、ほっとした顔の彼女に安心したか、今度こそフィンは扉を閉じた。
一人部屋に残されたラケシスであるが。
「…………」
彼女はしばらく、開き手のない扉をじーっと見つめていた。
――胸のうち、人知れず決めたことが一つあった。

さて。翌日の早朝。まだ日も明けきっていない時間帯。
「何でーーーっ!?」
屋敷を揺らさんばかりに響き渡ったのは、いわずもがな、ラケシスの絶叫だった。
ベッドの上で跳ねるように身を起こし、傍らでびっくりしている夫を見上げる。
「何で!? 何でもう起きてるの!?」
「な……何でと言われましても」
噛み付かんばかりのラケシスの様子に気圧されて、一歩後ずさりしながら呻くフィン。
勿論、そんな言葉で収まるラケシスではない。
「今日休みって言ってたじゃない! 何でこんなに早起きなのよ! まさか出かけるの!? 仕事なの!?」
「……いえ、そういうわけではないですが」
「だったらもうちょっと寝てなさいよ!」
がーっとばかりに怒鳴って……怒鳴りすぎて、ラケシスは大きく肩で息をついた。
軽く喉が痛い。我知らずそっと抑える。
それに気がついたか、
「お茶を淹れます。とにかく少し落ち着いてください」
ごまかすためなのか何なのか、とにもかくにも、フィンはそうとだけ言った。
――私服とはいえ、着替えまでとっくに済ませていた彼の姿を、ラケシスは恨めしげに睨みつけた。

「……ねぇ、フィン」
「何ですか?」
ティーカップに両手を添えて、一口啜り……ようやく落ち着いた声音で呼んだ彼女に安堵しつつ、フィンは小さく問い返した。
そのラケシスは、カップに頭を伏せるように多少俯き加減になりながら、視線だけをちらりと上向け、フィンの様子を窺っている。
そして、カップから離れた小さな唇が、
一言、
「もしかして……私と一緒に寝るのが嫌なの?」
「ぶっ!」
あくまで真剣らしいラケシスとは裏腹に、フィンはそれこそ盛大に飲みかけのお茶を噴き出した。
拍子に、お茶が気管に入ってしまい、ごほごほと咳き込む。
……それを見ても、ラケシスは心配するどころか、不機嫌そうに眉根に皺を作るだけ。
神妙な顔つきで呟く。
「やっぱり……図星なのね」
「なわけないじゃないですか!」
気合で喉の調子を抑えつけて、たまらず叫び返すフィンである。
そして、また咳を繰り返し……
ようやく落ち着いて後、戸惑ったように彼女の顔を見る。
「何てことを言うんですか。嫌なわけがないでしょう」
「じゃあ、何でいつもこんなに早起きなのよ」
「いつもはもう少し遅いですが」
「私より早いことには変わりないじゃない」
声を荒らげることこそなかったが、ラケシスの言葉は早くも尖り始めている。
同時に、視線もまた冷たい。
じとーっとした目つきで、ぶつぶつとぼやく。
「大体ね、働く男っていうのは、休日は昼まで寝て過ごすのが普通なんじゃないの?」
「……そうなんですか?」
「エルト兄様は休日も返上で働くような人だったからあまり覚えがないけど、キュアン様やシグルド様はそういう方だったじゃない」
「あぁ……そうでしたね」
「なのにあなたときたら、平日も休日も関係なく私よりも早起きだし。そうよ、昨日思ったのよ。そういえば私、一度もあなたより早く起きたことってないんだわって」
「…………」
「だから、今日こそはって思ったのに……」
呟いて、消えゆく言葉をごまかすように、ラケシスは再びカップに口をつけた。
適度に冷めたお茶。一口含んで飲み下す。
と、
「別に、貴女が気にするような理由ではないですよ」
しょぼくれたラケシスに苦笑しながら、フォローするようにフィンは言った。
この人は……何年経っても可愛らしいと思いながら。
「戦時に短時間睡眠に慣れてしまったのもあって、あまり寝なくても大丈夫なだけです。それに……貴女の隣はとてもよく眠れるので、そんなに長い時間寝てなくても疲れが取れるし」
「……え……?」
「本当にそれだけだったんですが、変な気を遣わせてしまいました。すみません」
いつも通りの他人行儀な言葉。いつも通りの穏やかな微笑。
きょとんとして見つめるラケシスを見返す目も、いつも通りに優しかった。
……彼は、軽々しく嘘をつくような人ではない。
「なんだ、そういうことだったの」
こんな風に言われれば、勿論悪い気はしない。
あっさりすっかり機嫌を直して、ラケシスはにこっと笑った。
「ならいいの。ごめんね、朝から騒いじゃって」
「機嫌は直してくださったんですか?」
「何? 怒ってたほうがいい?」
「まさか」
軽く首を横に振り、肩を竦めるフィン。
つられて、にこっと笑うラケシス。
「フィン、朝食はまだよね?」
「はい」
「じゃ、今日は一緒に食べられるわね」
すぐ用意するわ、と笑いかけて、ラケシスは早々にお茶を飲み干し、席を立った。
鼻歌交じりに部屋を出てキッチンに向かう彼女の様子に、フィンは気づかれない程度に小さく、ほっと息を吐き出した。

さてさて。更に翌朝。ようやく空が白み始めた曙の頃。
「…………」
目覚めたフィンが一番にしたことは、いつも通りに、数回瞬きして眠気を散らすことだった。
そしてそれが済むと……彼はこれまたいつもと同じく、ベッドに肘をつき、僅かに身を起こして、すぐ隣で眠る彼女を見下ろした。
……今日はよく眠っているようだ。いい夢を見ているのか、微かに口元を綻ばせている。
フィンもまた、そっと微笑む。
「さすがに、本当のことは言えませんよ」
手を伸ばして、絡まり気味の細い金髪を丁寧に梳いてやる。
――昨日口にしたことも、決して嘘ではなかったが。一番の理由というわけでもまたない。上手くごまかされてくれて助かったと思っていたことも、また事実。
うっかり本当のことを口にして、この至福の時間を奪い取られたりなどしたら……城勤めの重労働を乗り切るための気力が足りなくなりかねない。
それほどに大事な、それは活力源だった。

恋人の、年の割に無邪気な寝顔。
むにゃむにゃと何かを言いながら、猫のように丸くなる姿。
それを毎朝眺めるだけの、小さな幸せ。

彼女に対し、むやみに嘘はつきたくないけれど。
可愛らしいその姿を眺める楽しみを奪われたくもなかったから。
「……これだけは、秘密にさせてくださいね」
呟いて、フィンは忍び笑いを漏らした。
そしてしばらく、飽くこともなく、眠り姫の様子を見守っていた。

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