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欠けた記憶、欠けた心

「改めて……よろしく、ユリア」
そう言ってセリス様は微笑んでくださったけれど。
それでもやっぱり、私は不安を隠せずにいた。笑うことすら出来ずにいた。
記憶をなくしてレヴィン様に拾われてから、他の方と接したことなどないに等しかったから。レヴィン様がいなくなってしまわれて……一人ここに置いていかれて、不安にならずになんていられなかった。
――セリス様に悪いと思いながら……それでも、表情が暗くなるのを抑えることも出来なかった。
だからだろう、
「……そんな困った顔しないで」
苦笑めいた表情で、セリス様は仰った。
「ついてきて。みんなに紹介するよ。みんないい人たちばかりだから、きっとすぐ馴染めると思う。女の子もいるから、友達になるといい。ね?」
「……はい……」
それが、セリス様なりの心遣いだとはすぐに分かったが――
結局、そう呟くことが、その時の私の精一杯だった。
本当に、申し訳がないと思った。

それから……少しだけ歩いたところでだっただろうか。
横合いから、突然、その声は耳に飛び込んできた。

「こら、ラクチェ!」
――こーら、ユリア!――

(!)
何もないはずの――記憶の全てが失われたはずの真っ白な頭の奥で、何かがフラッシュバックした。
驚いた拍子、思わず立ち止まっていた。
「あ、またやってる」
セリス様もまた気づかれた様子で、側方の一点を見つめながら苦笑を浮かべている。
知らず、その視線を追いかけて、
(……あ……)
少し離れた場所で、よく似た黒髪をした男女が、何かを言い争っていた。
地べたに座り込んでいる少女と、覗き込むように腰を折っている少年と。
「あれがスカサハとラクチェ。あまり似てないかもしれないけど双子なんだよ」
セリス様がそう仰られたのが、かろうじて耳に届く。
けれど……
それよりもはるかにはっきりとした精度で聞こえる、諍いの声。
兄妹の……声。

「何よう!」
――あ、兄様――

「お前、またこんなところに怪我して! どうせコケたんだろ!」
――何座り込んでるの? また転んだ?――

「スカサハには関係ないじゃない!」
――もう! ほっといてください!――

「関係ないわけあるか! ほら、見せてみろ。消毒してやるから」
――ほんとにドジだよね、ユリアって。ほら、ライブかけてやるから泣かないで――

重なる声。
重なる姿。
脳裏に閃く記憶は、けれど今は失われたはずのもの。
(誰……?)
銀糸のようなストレートの髪をした少女は、自分……なのだろうか。
ならば……もう一人は?
一緒になって膝をついて、覚えたてのライブをたどたどしく唱えている――あの鮮やかな赤毛の少年は……

――ほら、もう痛くないだろう?――

にこっと笑うその顔が、とても優しくて。
痛みに涙目にすらなりながら、少女もまた笑顔になって……

ズキンッ!

(痛っ!)
突然頭蓋を貫いた痛みに、ユリアは思わず膝を折った。
「ユリア!?」
頭を押さえて崩れ落ちる少女を振り返り、緊張したセリスの声が叫んだ。

「とんだ紹介になっちゃったね」
近くの椅子を引き寄せて腰掛けて、疲れたように吐き出したのはセリス。
その横の席、
「ほんとですよ。びっくりしました」
後ろ首を掻きつつぼやいたのは、一足先に腰を落ち着けていたスカサハ。
さらに、
「でも、大事がなくてよかったです」
手布を水に浸して冷やし直しながら、ほっとしたように呟いたのはラナである。
その言葉には、セリスもスカサハも頷くしかない。肩を竦めるようにして、賛同の意を示す。
――ガネーシャ城の一室。そこにいるのは、五人の年若い少年少女。
まとめ役であるセリス、倒れたユリアをここまで運んできたスカサハ、介護役として呼ばれたラナと、呼びにいったラクチェ。
そして……
元々は城主の物だったらしい大きなベッドに横たえられ、騒ぎの元凶たる少女――ユリアは、いたって正常な寝息を立てていた。
ラナの診立てでは、多分重度の貧血か暑気あたり。体そのものに異常は見られなかったし、倒れたときにもセリスが支えたお陰でどこも打ってはいないから、そのうち何事もなく目を覚ますはずである。
初めは真っ青だった少女の顔も、だが時が経つにつれて徐々に血色が戻ってきたので、ようやく揃って安堵の息をついたところだった。
……さて。
一通りの事情が落ち着いてしまえば、好奇心の塊ともいえるこの少女が黙っていられるわけがない。
「でもほんと、キレイなコねー」
ベッドに登り、眠る少女を起こさないようにと慎重に近づいて。白い逆卵型の顔を覗き込みながら、ほぅっと息を吐き出すラクチェ。
少女が起きないことをいいことに――勿論起こさない程度にではあるが――いろいろといじりだす彼女である。
「睫毛長ーい。髪もさらさらー。おまけに肌もすべすべで真っ白ー。羨ましいなー」
「あら。ラクチェもそういうこと気にするの?」
手布を絞り、ユリアの額に戻してやりながら、意外そうに呟くラナ。
途端、不機嫌そうに唇を尖らせるラクチェである。
「……どういう意味よ。女の子なら当然じゃない。ラナだってそうでしょ?」
「あ、お前女だったんだ?」
からかうように口を挟んだのは、いつものことながらスカサハだった。
が……今度ばかりは場所が悪かったと言う他ない。
ラクチェの次の行動は、彼ら全員が予想できたはずなのだから。
「なんですってぇ!?」
いつもといえばいつものことだが……振り返りざま、ラクチェは大声で怒鳴り返した。
……すぐ目の前でユリアが寝ているというのに、である。
「しーっ!」
ぎょっとしたラナが慌ててその口を押さえ込んだが……
時既に遅し、だった。

「――――ん……」

小さな呻きと同時、眠りに硬く閉ざされていた瞼がぴくぴくと痙攣を始める。
声に気づき、ラクチェはラナの手を払い、再びユリアの顔を覗き込んだ。
「起きた?」
「ばか。起こした本人が何言ってるのよ」
ラナの的確なツッコミ。
さて、それはともかく、
「…………」
少女二人が見守る中、ユリアはゆっくりと目を開いた。
半開きの瞼の奥、紫水晶の瞳が、夢遊病者のように虚ろに煌く。
――そして、
「!」
すぐ目の前にあったラクチェの顔に焦点を合わせ、途端にびっくりしたように目を見開いた。
……まぁ、当たり前の反応ではあった。
「おはよう」
彼女の硬直の原因にも気づかず、ラクチェは殊更にっこり笑って声を掛ける。
「どう? よく眠れた?」
「だから起こした本人が何言ってるの! どいてってば! ユリア、困ってるじゃない!」
「ぐえっ」
幼馴染の遠慮のなさ。ラナはラクチェの服を引っ張り、あろうことかそのままベッドから引きずり降ろす。
そして、ラクチェの非難がましい視線を物ともしないまま、ますます驚くばかりのユリアの様子をざっと眺めやった。
打って変わって、にこりと笑う。
「おはよう。ごめんね、寝起きだっていうのに騒がしくて。でも、意識ははっきりしてるみたいね」
「……あ、あの……」
「あなた、急に倒れたのよ。セリス様が言うには頭を押さえていたって……まだ痛みはある?」
「……いいえ、大丈夫です」
「そう、良かった」
もう一度にこりと笑って、
背後を振り返る。
「セリス様、大丈夫みたいです」
「気分はどう? ユリア」
呼ばれ、セリスは椅子から立ち上がった。
ラクチェとラナが揃って横に避ける。
「あ……」
呟きの主は、ユリア。
その顔に、理解の色が広がっていく。思考が現状へと追いついていく。
そう、自分が倒れたところまで――
「セリス様……」
「いきなり倒れたんだ。心配したよ」
「……すみません……」
「ううん。それより、無理はしなくていいからね」
手布を下ろしてベッドに身を起こすユリアに、ラナはそっと上着を掛けてやる。
……それで、ユリアの視線が再びラナに向いた。
疑問そうな目を見て、ラナは目元を緩めた。
「私、ラナよ。こっちがラクチェね」
「よろしく、ユリア。それと、起こしちゃってごめんね」
ラナの隣、ばつが悪そうに、ラクチェが苦笑いを浮かべる。
その様子が可笑しかったのかもしれない。ユリアもまた、戸惑いながらだが、小さく笑うことが出来た。
――けれど……
それは、本当に束の間のことだった。
ちょうどその時、横合いから別な声が割り込んだからだ。

「俺も紹介してくれよ」

ラクチェの肩越しに、ひょいっとユリアを覗き込む黒髪の男。
言わずもがな、それは部屋にいた最後の一人。
「あ、忘れてた」
「んだとぉ?」
振り仰ぎ、先ほどの仕返しとばかりにからかうラクチェの髪を、スカサハは思いっきりかき回すことできっちり逆襲して、
「あ……?」
「ん?」
呆けたようなユリアの声に、彼は改めてそちらを見た。
ユリアも、スカサハの黒い瞳を見返した。

そして、二人の視線が絡んだその瞬間――

「――――っ!」

「え?」
戸惑いの声は、スカサハのもの。
「ユリア!?」
叫んだ声は、セリスとラナのもの。

セリスと、ラナと、ラクチェと……そしてスカサハの目の前で、
ユリアの顔が、再び急激に青く染まり、
「……あ……あぁ……」
震える唇が、言葉を捜して、

――ほら、もう痛くないだろう?――
――今度からはいつでも僕が治してあげるから。怪我したらちゃんと言ってね――

ズキンッ!

「いやっ、誰なの!?」
頭を両手で押さえて叫ぶユリアの姿は、誰がどう見ても何かに怯えているようにしか見えなかった。
「ユリア! どうしたんだ!?」
「しっかりして! 大丈夫よ!」
顔色を変えるセリス。落ち着かせようとするラナ。
けれど、ユリアは止まらない。
「いやぁ!!」
二人の手すら払い、細い声帯を震わせて、彼女は涙ながらに絶叫した。

「……スカ……?」
泣き叫ぶユリアをセリスとラナがなだめている間、ラクチェはスカサハを見上げていた。
彼女にとっては……見知らぬ少女より、共に生まれた兄のほうが、よほど心配だったから。
「やだ! やぁっ!!」
「…………」
錯乱するユリア。ラクチェは一度だけ振り返り――すぐにまたスカサハを見る。
スカサハは、呆然と動きを止めたまま。
まるで人形のようだ――そう思い、返事がほしくて再度声を掛けた。
「スカサハ……?」
「…………あ……」
それで我に返ったか、スカサハはゆっくりと右手を持ち上げた。
そのまま、その手で口元を押さえて……
不意に、背を向けた。
「スカサハ!?」
「……あ、ん、いやさ」
苦笑のような吐息が漏れた。
だが声は、明らかに引きつっていた。
――ショックを押し隠していた。
「なんか、原因、俺みたいだから……俺、部屋出てるよ」
「ちょっと、スカサハ!」
「すまない。後頼むな」
一瞬だけ振り向いて――力なく笑って。
その表情に縫いとめられてラクチェが固まっている間に、スカサハは今度こそ、本当に背を向けた。
そして、足早に、部屋の扉へと向けて歩き出した。

「ちょっとってば! 待ちなさいよ!」
はっとしてスカサハの後を追うラクチェの声が、偶然、ユリアの叫びの合間に響いた。
だからこそ、その声はユリアの耳にもきちんと届いた。
……ただし、別な声として。

――待って! 兄様!――

「…………あ……?」
「ユリア……?」
急に大人しくなったユリアに、恐々と声を掛けるセリス。
けれど、ユリアはセリスを見ていなかった。
立ち去ろうとする黒髪の男を――その背中を、目を見開いて見つめていた。
彼が扉の取っ手に手を掛け、引き開ける様を、何も出来ずに見送っていた。
……あの時も、そうだったから。

――ちょっと行って来るね、ユリア――

記憶の片隅で、赤い髪の少年は、にっこり笑ってそう言った。
動けずにいる少女を置いて、一人部屋を出て行った。
そして……帰ってこなかった。

あの日が、本当に最後だった。
大事な大事な片割れが、少女の家族のままであったのは、
あの日が最後だったのだ――

刹那、

「待って!!」
「!」

今までに倍する音量で叫び、ユリアは身を翻してベッドから飛び降りる。
「な……っ」
セリスが止める間もあったかどうか。
決してしっかりした足取りとはいえないながら、ユリアは裸足のまま走りだし、
ラクチェの横をすり抜けて、
叫んだ。
「兄様ぁっ!」
「うわっ」
戸口で驚いて止まっていたスカサハの胸に、ユリアはそのまま飛び込んでいく。
慌てて取っ手から手を離し、スカサハは少女の体を受け止めた。
軽い――と思った。
「ゆ、ユリア……?」
「……嫌です……」
「え?」
部屋にいる全員が硬直している中、小さな小さな呟きが響く。
スカサハの背に回された腕に、ぎゅっと力がこもる。
「嫌です……もう……いなくならないで……」
「――う……でも、俺がいたら、それこそユリアが嫌なんじゃ……」
「……いなくなっちゃ……やです……」
狼狽えまごつくスカサハの声は、どうやらユリアには聞こえていないらしい。
しゃくりあげながら、彼女は何度も何度も、「いなくなっちゃ嫌です」と繰り返した。
そして、不意に、
「……いや……で……」
その体が、がくりと崩れた。
「わっ」
慌てて抱えたスカサハの腕の中。
頬に何重もの涙の跡を残し、ユリアは再び気を失っていた。

結局、次にユリアが目覚めたのは、ほぼ一昼夜が過ぎてからだった。
そして、一時的に起きたときのことは、何一つ覚えていなかった。
――その代わりのように、スカサハがびくびくしながら顔を覗かせても、
「……どうかしたのですか?」
と、不思議そうな顔をするばかりだった。
怯えられていないことに、スカサハはよほどほっとした。
……だが……
「ユリアです。これからよろしくお願いしますね」
にこりと笑ってそう言うユリアに対して、
いつものように、首の後ろを掻きながら、
「……ちょっとだけ、もったいない気もするな」
ぽつりと漏れた、本音。
ユリアは覚えていなくても……スカサハは、彼女の体の軽さを、その身をもって知ってしまっていたから。
だから、また一から知り合わなければならないというのが、ほんの少しだけ残念だった。
「え?」
首を傾げるユリア。
それを見、スカサハは肩を竦め、
「何でもないよ」
右手を差し出した。
「こちらこそ。よろしく、ユリア」
「はい」
大きな手に細い手を重ね、ユリアは穏やかな微笑みを浮かべた。

お楽しみいただけましたでしょうか? >>>