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赦し

それは、少し昔の話。

後に『聖戦』と呼ばれる時代、セリス率いる解放軍が世界を旅していた頃のこと。
――時のヴェルトマー公領は、暗黒司祭たちの巣窟と化していた。
解放軍によって制圧されるまで、ヴェルトマーは暗黒教団の大司教であるマンフロイの手によって治められていた。彼は自らの手足でもある暗黒司祭に命じて、領内で非道の限りを尽くしていた。
子供狩りは勿論のこと、子供を奪われ逆らった親たちは容赦なく火に投げ込まれ、日々怨恨の叫びがこだましていたという事実は有名な話だ。
だが聖戦の折、マンフロイがセリス等の手によって倒され、またバーハラで闇の竜の化身たるユリウスが敗れたことにより、この地でも暗黒教団は解散を余儀なくされた。
ロプト教信者は、グランベル国王セリスの方針により迫害こそ免れたものの、白い目に晒されながら静かに余生を送ることを強要されることになった。

いつか与えられるのかすら分からない『本当の赦し』。
その日まで永遠に続くのだろう、暗黒神信者たちの肩身の狭い生活。

聖戦後、ヴェルトマーは公子アーサーによって治安が保たれていたが、彼の目が全てに行き届くことなどは、いくらアーサーが優秀であっても所詮は無理な話だった。
表向き続いている平穏の影で、過去の栄光に縋ろうとする何人かの暗黒司祭が再び活動を始めたことを察知できた人間は、誰一人としていなかった。

よく考えれば、予想できないこともなかったのかもしれない。
だが結局、彼らの活動は、台頭するまでついに感づかれることはなかった。
そして結局、その事件は起こったのだ。

ユリアが孤児院に帰ってきたとき、そこは、これ以上ない混乱に満ち満ちていた。
元ヴェルトマー公立孤児院――現グランベル王立孤児院。
その大きな建物も揺るげとばかりに、子供たちの悲鳴が響き渡っている。
蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う子供たち。――その背中に容赦なく浴びせかけられる暗黒魔法。
ユリアの手から、果物が満載のバスケットが転がり落ちた。
何が起こっているか……ただ呆然と眺めるだけで、理解するにはいたらなかった。
(これは……どうしたの? 何があったの?)
この孤児院は、ユリアの手に一任されている。彼女が果物を買いに出るまで院の庭では子供たちがいつも通りに遊んでいたし、自分に気がついた何人かが「ゆりあせんせい、いってらっしゃい」と笑ってくれた。
そう、その時は、全くいつも通りだった。
なのに今、仲良く遊んでいるはずの子供たちは、互いに押し合いへし合いながらも逃げ惑い、たまに転び、そして黒フード――暗黒司祭たちの放つ魔法に包まれ……
「きゃー!!」
「いやぁ! 助けてぇっ!」
「えーん、痛いよぉ……」
耳をつんざく、悲鳴、悲鳴、悲鳴。
一人、また一人と倒れていく子供たち。
繰り広げられる惨状。流れる血が、赤い。
理不尽な死を与えられる幼い命の声が、悲痛な響きを伴って耳の奥にこだまする。
自分が懸命に育ててきた小さな命が、呆気なく失われていく。
「あ……あ……」
震える喉。声にならない声。
思考を埋め尽くしていく、圧倒的な悲しみと、怒り。

――ユリアの中で、何かが弾けた。

「何てこと……を……」
黒い感情に目が眩み、自分の中から湧き出る魔力を抑えられなくなった。
今現在、唯一契約している護身用の光魔法が、向かい合わせた両手の平の間で爆発する。
暗黒司祭に一人がこちらに気がついて振り返ったのを、ユリアは色素の薄い虚ろな瞳で見つめた。
「光精よ……我が敵より、生の息吹を世界へと還元せよ……」
発動する魔法。もう誰にも止められない。
「リザイア――!!」

繰り返し放たれた強大な威力のリザイアは、暗黒司祭たちをあっという間に絶命へと追い込んだ。
そして全ての暗黒司祭を死に至らしめた後……ユリア自身もまた気を失った。

ユリアが人を殺したのは、これが二度目のことだった。

「……ア、ユリア」
「…………ん……」
自分を呼ぶ優しい声に、眠りの波が遠のいていく。
聞いたことのある声。誰だろう。記憶が霞みがかっているようで、どうにも思い出すことが出来ない。
(誰?)
答えを知りたくて。問いかけるように、ゆっくりと目を開ける。
――その途端、

「…………っ」

目と鼻の先にあった紫の瞳に驚いて、ユリアはびくりと体を硬直させた。
ごく至近距離――それこそほんの少しでも体を起こせばキスしてしまいそうな距離で、彼は自分を覗き込んでいたのだ。
だが一気に目が覚めてしまったユリアとは対照的に、彼――アーサーはかくんと首を傾げるばかり。
「おはよう。気分はどう?」
「き、気分って……」
目覚めていきなり彼の顔がドアップにあって、気分も何もないのだが。
やっぱりそこで言葉を止めてしまったユリアを知ってか知らずか、アーサーは小さく微笑んで体を離した。
彼女の額から濡れた手布を外して、サイドテーブルに置きながら、
「本当は自然に起きるまで待とうかと思ってたんだけど……うなされてたからさ」
「うなされて……」
言われ、ユリアははたと気がつく。

――夢を見ていた。

とてもとても、嫌な夢。
背中がぞくりと冷たい。……これは、冷や汗。
泣き叫ぶ子供たちの悲鳴が、いつまでもどこまでもこだまする……そんな悪夢。
……否、
「子供たちは!?」
思考が回復する。ない交ぜになっていた記憶の中、どこまでが夢とどこからが現実かをはっきりと認識する。
夢……じゃない。あの声は。あの叫びは。
掴みかからんばかりの勢いで半身を起こし、答えを求めるように彼に掴みかかろうとして、
「うっ……」
貧血を起こして傾ぐ体を、アーサーはそっと支えてくれた。
「落ち着いて、ユリア」
ユリアの背中にそっと手を回し、ゆっくり擦ってやりながら。
心配げな瞳は、それでもどこか陰っていた。
その視線――どこか悲しげな瞳の意味を、ユリアは違えなく理解した。
夢だったら、どんなにかよかった。
「……ねぇ、教えて」
震える声で、だが尋ねずにはいられなかった。
「何人、死んだの……?」
「……五人……」
ズキン……と胸が痛んだ。
途端に歪んだユリアの表情に気がついて、アーサーもまた唇をかみ締める。
視線が逃げるように下を向く。
「城に連絡が来て、俺が駆けつけたときには、もう全部終わってた。プリーストを連れていったから、すぐに回復魔法をかけさせたんだけど……手遅れの子供もいた……」
「…………」
ユリアは無言で頷き、涙を堪えた。
代わりに、体にかけられていた毛布の裾を、少し力を入れて握った。
今でもはっきり思い出せる。死にゆく子供たちの泣き叫ぶ声を。
それに……
「あの暗黒司祭たち……彼らも、死んだの?」
「……あぁ……」
アーサーは躊躇いがちに、けれど確かに頷いた。
「そう……」
毛布を握る手を離し、ゆっくりと眼前に持ち上げるユリア。
血の気の薄い白い手、白い指――
そう、この手だ。この手で、私はまた、
「また……殺してしまったのね……」
この手で、魔法を放った。
そして、殺した。
リザイアの魔法で返り血を浴びることはない。リザイアは相手を傷つける魔法ではない。ただ、相手の生命を奪う魔法。相手の生きる力を、その体内から奪う魔法。
だから、この手は白いまま。この指は汚れてなどいない。
だが――ユリアには視えていた。
まるで骨のように白い手を、ゆっくりと伝う赤を。
人を死に至らしめた、罪深い指を。
「……助けられなかった……だけじゃない。私、また……」
「見るな、ユリア」
アーサーは強く言って、そのままユリアの頭を抱きこむようにして彼女の視界を遮った。

――バーハラを経ってヴェルトマーに向かう、その前日。
城の片隅、ひっそりと立てられた三つの墓石を前に、決意を胸に約束した言葉があった。
父には、彼が守ろうとした小さな命を必ず守り抜いてみせると。
母には、半分だけ血のつながった義兄を助けて生きると。
そして兄には、
「……この手で命を奪うのは、兄様を最後にします」
自らの手で兄もろとも屠った、死と恐怖を撒き散らす存在。
世界は平穏を取り戻し、やがてセリス王の名の下に再興を果たすだろう。
もう命を奪う必要はない。
命を奪われることもない。
だから、
「ユリアは、もう誰も殺したりしないし、殺させることもしません」
そうでなければ。
この手で殺した兄の死が、無意味なものになってしまうから。

院の人員構成が、その日を境に変化した。
ユリアと共に子供たちを育て守ってきた女性たちは、ほぼ全員がその仕事を放棄した。測りしれんばかりの衝撃と恐怖に耐え切れず、ノイローゼ気味になってしまった女性すらいた。
新しい人員はアーサーやセリスによって即座に手配されたが、子供たちが負った心の傷は深く、新たな世話役達にもなかなか馴染めないでいた。見知らぬ人間への恐怖が植え付けられてしまったためだ。

ユリアもまた、しばらくの間、ヴェルトマー城で休養をとっていた。

「…………」
むき出しの土に膝をつき、手に提げていたバスケットを膝の上に載せる。
いっぱいに詰まっていた色とりどりの花を、一輪一輪選り分ける。
赤、紫、黄色、ピンク、白。五色をそれぞれに分けて、同色のリボンで束ねる。
そのうち、ユリアが手に取ったのは、紫色の花束だった。
「ピート……あなたが好きだったのは、この色だったわよね」
真新しい墓石。風化した他の墓石とは明らかに違う。
これは、まだ建てられたばかり。
――彫り込まれた名は、孤児院で亡くなった子供の一人。
「他の子たちから聞いたわ……あなた、他の子たちを庇って、魔法の直撃を受けたんですってね。ルーシィが一番泣いてたわ。分かるでしょう? あの子は、あなたととても仲がよかったもの……」
花を捧げたその手で、墓石をつっとなぞる。刻まれた名。指で触れればはっきりそれと読める。
この下で、ピートは静かに眠っている。
やんちゃなガキ大将。ルーシィに好意を持ちながら、その照れ隠しにといつも苛めてばかりいた。毛虫だ何だと持ってきては、嫌がる彼女に突きつけて追い掛け回していた。
……その最期は、転んだルーシィを庇って。両手を大の字に広げての仁王立ちだったという。
魔法を全身で受け止めて、数メートルも吹き飛ばされて。
即死だったそうだ。
「……ごめんね……」
ピートの名をなぞり終えたところで、指が止まった。
震えているのが自分でも分かった。
「守ってあげたかった……守ってあげられなかった……ごめんね……ごめんね……」
真下に置かれたバスケット。うち一輪に、涙が跳ねた。
それでもユリアは、少しも目を閉じなかった。
墓石の向こうに、満面の笑顔を浮かべた男の子の姿が映っている。
目をそらすことは、何よりも罪深い行為。
「ごめんね……」
答える声はなくても。
他に言葉が思いつかなかった。

「……他の子にも……あげなきゃ……」
小一時間も経っただろうか。不意にそのことに気がついて、よろよろと立ち上がる。
……名残惜しい。まだ何か言わなきゃいけない気がして、謝り足りない気がして。立ち上がったところで、その場を離れることが出来るかは別問題だった。
結局ユリアは、たっぷり五分ほども、その場を動くことが出来ずにいた。
それも、動けたのは、

「いつまでそうしているつもりなんだ?」

背後から、そんな声が聞こえてきたため。
彼の声がなかったら……きっと本当に、いつまでも動けなかったと思う。
振り向き、尋ねる。
「アーサー……? どうして……」
「そんな調子で回ってたら、日が暮れても終わらないよ」
口の端を少しだけ緩ませたアーサーは、手にしていた花束を軽く振って示してみせる。
「城にいなかったから、多分ここだろうと思って。俺も一度きちんと参るつもりだったし」
答えながら、彼はユリアの横を通り過ぎ、墓前に片膝をついて花束を供えた。
そして、ユリアよりはずっとはっきりした声で、
「すまなかった」
笑みを消した神妙な面持ちで、そう告げたのだ。
「全部……俺の責任だ。可能性はあったことなんだ。事前に察知できなかった、俺のミスだ。……ユリアを責めないでやってほしい」
「! アーサー!」
「俺は君たちに誓う。こんなこと、もう絶対起こさせたりしない。誰も死なせない。殺させない」
ユリアの制止も、アーサーの言葉を止めることは出来ない。
「……だからどうか、赦してくれ」

残りの四箇所も全て回った後――
「ひどい顔だな」
都度泣き崩れたユリアの目は、元の紫色など見る影もなかった。
ハンカチを顔に押し当てて、彼女は今も、ひっくひっくと喉を鳴らしている。そのたびに細い肩が不自然に上下し、ここ数日の憔悴もあって、今にも倒れてしまいそうだ。
アーサーの声も、思わずため息交じりになる。
「そんなんじゃ、このまま孤児院に連れて行くわけにはいかないな」
「……え?」
予想を外れた言葉だったのだろう。ユリアが少しだけ顔を上げる。
涙のたまった目の淵。
彼女のハンカチが、すっかり濡れてしまって用を為さなくなっているらしいことに気がついて、アーサーは自分のハンカチも彼女へと渡してやった。
「ここに来る前に、一応院のほうにも寄ってみたんだけど。その時に子供たちに言われたんだ……ユリア先生元気かって」
「……あの子たちが……?」
「あぁ。しばらく顔出してないんだろう? 心配してるみたいだったよ」
自分たちだってひどい状態なのにな、と気の毒そうに呟く。
「だから、もしユリアがその気なら、このまま連れて行こうと思ってたんだけど。その目じゃ逆にもっと心配させるだけ――」
「行く!!」
言葉を遮って、ユリアは叫んだ。
ハンカチもバスケットも放り出す勢いで、アーサーの腕に縋りついて、
「大丈夫! 水で少し冷やせばすぐ戻るから!」
「でも」
「お願い、連れてって!」
必死だった。
なぜこんなにも必至になれるのか、自分でも分かっていた。
急に思い出したのだ。守らなければならないことを。
残されたあの子たちを。
逆に心配させるなんて……子供たちのほうがずっと傷ついているはずなのに、自分だけがいつまでも泣いているなんて、そんなことは許されないのだ。
「お願い!」
「……了解」
くすっと、小さく笑みをこぼして。
アーサーは手を伸ばし、ユリアの頭にぽんぽんっと触れた。
そして最後は、くしゃりと撫でて、

「でも、その前に。もう一箇所行くんだろ?」

「え……?」
「まだ回ってない墓がある。ほら、そんなんじゃ、折角の花が落ちるよ」
傾きかけたバスケット。……その中には、まだほんの数本、花が残っていた。
アーサーの逆手にも、一つだけ花束が残っていた。
――彼もまた、最後の一箇所にも回るつもりだった。ユリアと共に。余分な花束はその証である。
それが分かったからこそ、
ユリアは、驚いた。
「何で……分かったの? 私があそこにも行くつもりだったって」
「んー、まぁ、何となくね」
嘘かホントか、はぐらかすように、彼は笑うばかりだった。

共同墓地の端も端。
その一角に、訪れる者さえまばらな、荒れ放題になっている場所がある。
そこにも、質素ながら、新しい墓石が一つ建てられていた。
ただしそれには、名は刻まれていない。何も掘り込まれていない石が、無造作にぽつんと立っているのみである。
何も知らない人が見ても、それが誰の墓かは分からないだろう。
知っているのは、ほんの一握りの人間だけ。

――暗黒司祭たちの墓。

参る者さえいない墓。
その前で、リボンの巻かれた色とりどりの花と、きれいに纏められた花束が一つずつ、気まぐれな風に弄ばれて揺れていた。

父様、兄様。
ごめんなさい。
ユリアは、約束を守れませんでした。
父様の願いも、兄様の死の意味も、守りきれませんでした。
甘かったのです。赦してください。
今度こそ頑張るから、どうかどうか赦してください。

そして……もし赦してくださるのなら、
どうか天上で、祈っていてください。
今度こそ、もう二度と、
無邪気な笑顔が世界から奪われることのないことを――

お楽しみいただけましたでしょうか? >>>