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境界線

望む答えを与えられると……与えてくれると、そう思ったことはなかった。
彼は真面目だ。不器用なまでに真面目だ。国に仕えるようになってからのことなのか、それとも生来の性格なのか――例えその生真面目さが己を不幸にしようとも、決して曲げられぬほどに一本槍だ。
二心なき忠誠心。それは、本来は美徳として讃えられるはずのもの。
けれど、今は……
私は、それが憎らしいとさえ思う。
「……答えてはくれないの?」
「私は臣下の身ですので」
予想通りの言葉。予想通りの態度。
なんて残酷な、彼らしい答え。
「そんなこと、私は気にしないわ」
「貴女が気になさらなくとも、周りが許さないでしょう。そして私も……自分で自分を許せない。大恩ある家の姫に不敬を働くなど……決して」
「私がこれだけ望んでも?」
「申し訳ありません」
「…………」
変わらず片膝をつき頭を垂れている彼。
ふと……その顔を覗き見たいと思った。一体どんな顔で、私を絶望に突き落とそうとしているのかと思った。
けれど、すぐに思い直した。見たいけれど、見たくないと思った。
――彼の顔を見ることは、彼に自分の顔を晒すこと。
きっと泣きそうな顔をしているに違いないから……そんな顔を、彼にだけは見られなくなかった。
ため息が漏れた。
「なら……せめて一つ、我侭を聞いて」
「それが命令なのでしたら、何なりと」
少女の頃には、言いたい放題の我侭すら、苦笑しながら叶えてくれたのに。
彼も、きっと覚えている。あの頃のことを。
けれど、突き放すのだ。私がもう少女ではないというだけで。
憎らしい。この上なく。
「……じゃあ、命じるわ」
彼の前に立ち、右手を差し出す。
「誓いを。リーフでも、父上でも、ノヴァの系統でもなく、私一人に。死ぬまで私の傍で私一人のために尽くすと、誓いなさい」
「……御意」
かすかな逡巡すら、彼は飲み込んでみせた。
それが命令という名の我侭だと分かっているはずなのに。
「失礼」
呟きの後、その無骨な手が、差し出されたままの私の手を取り、
……躊躇いなく口付けた。
なぜ、この手にだけ……そんなことを思った。
「この右手に、絶対の忠誠と献身を。我が身死せるその時まで」

彼の言葉に偽りはなかった。
翌朝、彼は部屋を出た私を扉の前で待ち受け、頭を垂れて「リーフ様がお呼びです」と言った。そしてリーフの元に向かう私の後ろについて歩き、王の間の大扉の前に立てば、その門を開ける役を買って出た。
リーフの言葉で、私は彼が私の副官に配属変えになったことを知った。
竜騎士の副官に槍騎士を――その滑稽な図を想像し、私は薄く笑った。リーフとフィンがどういう会話を交わしたかは知らないが、きっとリーフも困惑したことだろう。
――私とリーフが話すその間も、フィンは私の斜め後ろに、ひっそりと従ったままだった。

フィンが私付きになってから、一月が過ぎたある日のこと。
「フィン」
廊下を歩く途中、今日もいつものごとく私に付き従う影を、私は振り返った。
落ち着き払ったまま、彼は答えた。
「何でしょう」
「今日、午後は何もなかったでしょう? 久しぶりに体を動かしたいの。槍の稽古に付き合ってくれない?」
「御意」
淡々とした答え。
いつものこうだ。私付きになってから、彼は必要最低限の言葉しか発しない。感情の起伏すら、あまり見られない。
事務は卒なくこなす。必要があれば報告する。私が命令せずとも先を取って動き、働き、私を驚かせたりもする。
今まで付いた誰よりも、彼は優秀な副官だった。
……ただそれだけの関係。
「……楽しみね」
呟き、顔を背けるように前方に戻して、私は歩みを再開した。

「ねぇ、フィン?」
「何ですか?」
稽古用の木の棒を握り、対峙する。
竜の背でも、馬の背でもない。大地に足をつけて、互いに牽制し合いながら。
油断を誘うためではないけれど、言葉を舌に乗せる。
「賭けをしない?」
「賭け?」
「えぇ」
頷こうとして――彼が足に力を込めたのが見えたから、先手を取って構えを変える。迎え撃てるように。
負けるつもりは毛頭なかった。
彼の一挙動すら見逃すまいと視線を鋭くしながら、改めて口を開く。
「貴方が勝ったら、貴方を私の副官の任から解くわ。あの誓いも無効。元のようにリーフに仕えてもいい」
「…………」
「でも、私が勝ったら」
一呼吸。
「キスして。手にではなく、唇に」
「!」
「どう?」
その心を見透かさんと、彼の目をじっと見つめる。
深淵まで澄んだ海の色。吸い込まれそうで、底が見えない。
――視線の先、その顔を支配した驚きは徐々に薄れ、いつしか彼は呟いた。抑揚薄く。
「……またその話ですか」
「そうね」
肯定する。諦めの悪い私を。
唇に浮かんだ笑みの意味は――自嘲。
「貴方は私を拒絶する。こんなに近くにいるのに……片時も離れず傍にいるのに、どうしてこんなに寂しいのかと、私はいつも考えていたわ」
「…………」
「貴方は私の傍にいながら、いつも壁を作ってしまう。私と貴方の間に線を一本引いて、間を隔ててしまう」
見えない壁。なのに確かに在る。強固に私を跳ね除ける。
血の壁とも、主従の壁とも違う。
それは、決して曲げられぬ彼の意思そのもの。
「どうして? 私は……貴方と隣に並び立ちたいだけなのに。貴方に触れてほしいだけなのに。それだけで、もう貴方は許せないの?」
「賭けは不成立です。私はその条件を飲む気はありません」
「なぜ!」

ガッ!

木の棒が激しくかみ合う。
仕掛けたのは彼のほう。
十字に交差する木の棒を挟み、すぐ間近に迫った彼の顔を見て、どきりとした。
「……アルテナ様」
名を呼ばれ、いっそう動悸が早まった。
今追撃されたら、きっと為す術もなく負ける。そのくらいに動揺しているのが自分でも分かった。
――が、彼は動かなかった。
青い目をすっと細め、呟くだけだった。
「人の想いとは、相手をその腕で抱くことでのみ、表せるものなのでしょうか」
「え……?」
「貴女が私に望んだ恋人という言葉……それに何の意味があるのか、ということです」
棒が軽くなった。彼が力を抜いたからだ。
体を離し――けれど決して隙は見せず、フィンは言った。
「私は貴女を望めない。触れることすら恐れ多い。貴女を望む大罪を犯すには、私はキュアン様の世話になりすぎました。私は、あの方を裏切れない。あの方の信頼を裏切れない」
「……誓いを破るの?」
「いえ、破ってはおりません」
小さく首を横に振る彼。
「死ぬまで貴女の傍に従い、貴女一人のために尽くす。貴女をこの手に抱くことは出来なくとも、貴女の望む道を切り開くこと、そして不意の危険から守ることは出来る」
彼の顔が、ほんの少し、苦しげに歪んだのが見えた。
目を見開く私の前で、細く小さく、息を吐いた。
「それが私の想いだと……精一杯の想いの表現だと、ご理解いただけないでしょうか」

「……教えて」
全身から力が抜け、手から滑り落ちた棒がカランと音を立てた。
不覚にも、泣きそうになった。こんな顔は見せたくないと、心のどこかで誰かが言った。
けれど、目をそらすことも出来なかった。
「答えて。私は……私は貴方の特別なの?」
「はい」
きっぱりと、彼は答えた。
それで、唐突に気づいた。
以前尋ねたときも……恋人を望まなければ、こう尋ねていれば、きっと彼は同じように、躊躇いなく答えてくれたのだろうと。
「貴方は特別なお方です。仕えるべき主としても……一人の女性としても。貴女は私にとってただ一人の存在です」
真面目な彼が、不器用な彼が、嘘をつけるはずはない。
だから……分かる。この言葉は、全て真実。ありのままの彼の姿。
「ですが、何よりも特別であるからこそ、私は貴女に触ることすら憚られる。崇高で、神聖で。ならば、守ることでしかこの想いを示す術はない」
揺らがない瞳。視線。
確信した。
あの時伏せられていた顔は、きっと今の彼と同じ顔をしていたのだ。
「これが、私の想いの全てです」
「……なら、賭けに乗らないのは……」
「貴女の傍にいられなくなる。解雇されるのは困ります。あの誓いは、決して生半可な気持ちで口にしたのではありませんから」
ごく自然な動作で、彼は跪いた。
否応なくあの誓いを思い出した私に、彼は続けた。
「貴女以外の何者も、私にとって貴女以上の存在にはなりえない。だからこそ、私はこの先、伴侶を求めることはしない。誓い通り、この身果てるその時まで、貴女一人に尽くし続けることでしょう」
「……他の誰も愛さないと?」
「はい」
「私を愛していると?」
「はい」
「でも……触ってはくれないと?」
「はい」
「…………」
思わず口をつぐんだ。
それは、ともすれば遠く離れて暮らすことより、残酷なことのように思えた。
想いは通じているのに、その体温を感じることは許されないなんて。
だが――

「私だけを……見てくれるのね?」

命令でも、我侭でもなく。
彼自身の意思で、そうしてくれるのなら。
触れることは叶わなくても、貴方の気持ちが手に入るなら。
「私だけを、ずっと愛してくれるのね?」
「はい」
――私の望む答え。
与えてくれるなんて、思ってもみなかった。
「……フィン」
「…………」
無言で顔を上げる彼。現れる真っ青な瞳。
想いが溢れて止まらない。愛しくて愛しくて、伝えずにはいられない。
本当は、その腕の中で言いたかったけれど。
それが許されずとも、これだけは言わせてと、
――微笑む。
「大好きよ。ずっと……傍にいてね」
「御意」
最後まで堅苦しく、けれどはっきりと、彼は頷いた。

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