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甘い欲望

――この少女は、きっと何も分かっていない。

「ねぇねぇ、シャナン様?」
世慣れている、それは認める。だがそれは、現実を見ているかとか一人で生活できるかとかいった問題であって、こと恋愛に関しては含まれていないのではないだろうか。
「シャナン様ぁ? ねぇ、ねぇってば」
少女が自分を好いてくれているのは分からないでもない。
だがこの娘は、幼く、無垢だ。人の心の裏を探るような生活だったからだろうか、信用できない者には疑ってかかり、心を許した者には素直に懐く。今こうやって引っ付いてきているのもそうした行動の一端であって……親愛と恋愛は、似てはいるが決して同じものではない。
「シャナン様ー、返事してよー」
だがそれでも、それが少女にとっての恋愛であると仮定する。ならば、自分がその気持ちに応えたとしたらどうなるか。
……はっきり言って、どうにもならない。
そもそも、男の愛情と女の愛情は、その質からして違うものである。少女にとって恋愛というものがどういう意味を持つかなどは推して知るしかないが、仲良しこよしでなあなあとしていられればそれで満足なレベルだというのは察するに難くない。だが対して男の愛情というものは、征服欲であり愛欲であると言われている。そしてそれは間違いではないだろうと……悲しいかな、男である自分には分かる。
認めたくはないが、彼女に対して自分が抱いている気持ちは非常に邪なものであり、幼い少女の想像の範疇を遥かに超えているものと推測される。
「こらー、返事しろってばー」
結論として、少女が自分に求めている恋愛と、自分が彼女に抱いている感情とは、全く別次元の代物である可能性がある。いや、絶対に違うものである。
そうしてみて、それを無視して自分が態度を変えたとき、少女はどう反応するだろう。

――この少女は、きっと何も分かっていない。

「しゃーなーんーさーまーっ」
「あぁ、うるさい。何度も呼ぶな」
一段落した思考。いつもと同じ結論……ため息混じりに、シャナンは傍らの少女を見やった。
いつもといえばいつものことだが、少女――パティは、彼の半身に無意味に引っ付きながら、不満げに頬をぷくっと膨らませている。
「何よー、シャナン様が返事してくれないのが悪いんじゃない」
「大した理由もないのにいちいち呼ぶからだろう」
「大したことあるもん。シャナン様のこと、何でも知りたいし。ていうか、ねぇ、何難しい顔してたの?」
「お前には関係ないことだ」
本当は、大いにある問題ではあったが。むしろ彼女こそ当事者であるが。口にしたところでどうにもならないことであるから、そこは言わないでおいた。
が……そう答えたところで彼女が納得しないだろうことを失念していたのは、彼の大きなミスであろう。
「教えてよー」
「駄目だ」
「ケチー」
「ケチで結構」
「意地悪ー。根暗ー。鈍感ー。ていうか、キザでー、頑固でー、そりゃ確かに格好いいけど歳の割に老けててー」
「…………」
「大体、その髪型もどうかと思うのよね。そりゃ、似合ってはいるけど、やっぱりちょっとあれっていうか。元がいいから最初は騙されるけど、でももっとこう……センスないというかセンスが化石というか。やっぱりシャナン様って、いろいろな意味で老けてるのよ、うん」
「もういい」
遠慮なく炸裂するマシンガントークに耐え切れず、シャナンは思わず口を挟む。
と、パティは数回目を瞬かせ、なぜだか物凄く意外そうな顔をして、
「あれ? シャナン様、もしかして怒ってる?」
「今の言葉で怒らない人間などいるのか?」
「んー、お兄ちゃんは怒らないかな。このくらいは慣れっこみたい」
「……ファバルに心底同情するよ」
こちらを覗きこんで平然と切り返すパティに、シャナンは心からそう答えた。……本当に、この少女と人生の大半を共にしてきた彼女の兄には頭が下がる思いである。
一切の悪気を感じさせないくりくりとした瞳で見上げてくる少女を、深い嘆息と共に見つめ、
「本当に、お前という奴は……」
「何よー」
何の意味もないのだろうが、ますます強く彼にくっつきながら、再び不満げに口を尖らすパティ。
そんな少女を見下ろして、シャナンは切れ長の目を少しだけ細めた。

……若干十六歳の、年端もいかない少女である。
既に二十八を数えたシャナンにしてみれば、その歳の差はどうしても無視できないレベルだった。それだけの歳の差がありながらも――そうと知りながらも彼女に惹かれたのは紛れもない事実なのだが、どうしてもそのことに負い目に感じてしまうこともまた否めなかった。
だがそうした外見の話以上に、彼女が無意識にも抱え込んでいる爆弾は、その中身。
外見と比較にならないレベルで、その心もまた純真無垢な彼女を、自分はどのように扱っていけばよいのか……そう考えるたびに、シャナンはいつも、今のように適当にあしらい、彼女の成長を待つしかないと思うのである。

だが……
時々、どうしてか……

「……パティ」
「何?」
「お前にとって、私は何だ?」
「え?」
大きな瞳を更にいっぱいに見開いて、パティがぽかんとした顔をする。
驚く顔にさっと赤みが差すのを見て取りながら、自身は表情を変えず、シャナンは繰り返した。
「お前にとって、私は何だと聞いている」
「え、え? えっと……」
突然の質問で慌てたのだろう、視線をあちこちに彷徨わせ、幾つか何の意味のない単語を呟き、最後は目を合わせては目を逸らすことを繰り返しながら、
「こ、恋人?」
「そうか」
確認するように答えたパティに、シャナンが向けた笑みは……酷く皮肉げなものだった。

――今の会話の、どのタイミングでそうなったかは、自分でもよく分からない。
だがしかし、何かが吹っ切れてしまったことは、自覚してもいた。

「なら、こうしても怒らないよな」
「え……えぇっ!?」
細い顎に指を置き、くいっと上向けて、幼さを残したその顔を覗き込む。
見つめた瞳が縛られるように動きを止めて、代わりに、パティは耳まで赤くなった。
抵抗の一つも思いつかないのか、されるがままになりながら、ただその口だけが小さく動く。
「しゃ、シャナン様……?」
「何だ?」
「んと……あの、何するつもりなんですか?」
「見て分からないか? キスするつもりだが」
「き――っ!?」
引きつったような声を最後に、パティが今度こそ硬直する。
その隙間を埋めるように、平静を装って言葉を紡ぐ。
「まさか、キスが何か分からないなどということはないだろう?」
「わ、わわ分かるもんそれくらい! けど!」
「けど?」
「な、なんかちょっと変だよ!」
「何が?」
「だって! シャナン様、いつもこんなことしないし!」
「我慢してるだけだ。本当は、いつもこうしたいと思っているさ。……キスだけじゃない。その先も含めてな」
「えぇ!?」
見開いた目、ぽかんと開いた口……更に、声を裏返させて、もう何度目かの驚きを重ねるパティ。
次はどう反応するのだろうと考え、思わず微笑んでしまいそうになるのを、頬に力を入れて堪える。
「なのにお前ときたら、いつも無邪気に引っ付いてくる。私も男だ。引くに引けない時くらいある」
「そ……そうなの?」
「どうした? まさか嫌なのか?」
「あ、あぅ……」
力なく呻くパティの瞳にいつもの覇気はなく、どこかおろおろと所在なげに彷徨う。
すっかり一介の少女に戻ってしまった彼女に、シャナンはここぞとばかりに畳み掛けた。
「どうなんだ?」
「……嫌じゃない……けど……」
「けど?」
「…………っ」
じわっと目に涙を浮かべて、けれど、言葉は出てこない。
どうやらそろそろ限界らしい。これ以上突つけば……先の展開は読むまでもなく目に見えている。
「まったく」
手を離し、やれやれと肩を竦めて、
「この程度でうろたえるようじゃ、先は長いな」
「え? あれ、シャナン様?」
「何だ?」
「えと……何で離れちゃうの? ……その、キス、しないの?」
「しない」
「何で?」
「何でも何も。元々そんなつもりはない。少しからかっただけだ」
「……からかった?」
「なんだ。まさか、本気だとでも思ったのか?」

――本気だった。
ただ、彼女の反応を見ているうちに、正気に戻っただけだ。

「〜〜〜〜っ」
恥辱か、怒りか、パティの顔が真っ赤に染まる。
そして、彼女もまた、どうやら何かがはち切れたらしい。
「ひどーい!」
「何が酷いんだ」
「からかうって何よ! あたし、馬鹿みたいじゃない!」
「本気で迫ってほしかったのか?」
「え!? あ、いや、その……って、今誤魔化したでしょシャナン様!」
「バレたか」
すっかり爆発したいつもの彼女。それをいつものようにあしらいながら、ばたばたと騒ぐ少女に笑いかける。
そうして、自分の心の暗部に、今一度強く鍵を掛ける。

まだ、少し早い。
二人の関係が『恋人』に進むには、後少し……

だが、
「……そうだな」
「?」
「このくらいは、もういいだろう」
「え?」
きょとんとした彼女の動きを遮って、ほんの一瞬。
啄ばむように、掠めるように。

短い、キス。

「!」
パティが再び硬直したときには、既にシャナンは離れていた。
余韻も何も残らない、『恋人』未満のキス。
「まぁ、『親愛』でも、キスくらいはいいだろう?」
「な、ななな……?」
「言っておくがな、次するときは、こんなものじゃ済まさないからな」
「…………っ」
言葉が出ないらしいパティに、シャナンは再び微笑んだ。
今の関係はこのくらいがベストだろうと、そう思ったがゆえの笑みだった。

彼女にとっての自分を問うた時、彼女は疑問形で確認した。
それがそのまま、今の二人の距離だから。

問いも答えも必要ない……次にキスする時は、そんな関係でありますように。

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