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高みに昇るそのワケは

忘れもしない、あの日、あの時。
お前の苦悩が分かったから、余計なことは言わなかった。
それは当時としては――それと俺たちの立場からしてみたら、ごく当たり前の悩みで。おまけに、お前の性格を加味したら、ごく当たり前の答えだったから。お前がそう決めたんだから、母さんが何も言わなかったように、俺も何も言わなかった。
……なのに、だ。

青天の霹靂、ってこういう日を言うんだと思う。

「で、正気なのか?」
「お兄様、それ聞くの何回目?」

「…………」
「おい、何で固まってんだ?」
「いや、別に」
別に、何もなくはなかったのだが。
分厚い本の一冊を手に取ったまま、読むでもなく頁を繰るでもなくただ動きを止めていた自分に今更ながらに気がついて、レスターは本をぱたんと閉じた。
正直、本を開いてみたことに意味はなかった。開いてみても、中身を理解するのは到底無理な話だと最初から分かっていた。
魔法を綴る特殊な文字と言語――上位だとか下位だとか何やら違いがあるらしいが、一介の弓騎士である自分からして見れば意味不明という点で大して違いはない。
が、隣に並び立つ男の視点からすると、そこは重要な違いであるのだろう。こちらの手元を覗きこみ、首を傾げる。
「……ウィンドか。ま、それが一番お勧めかな。使いやすさに関しちゃピカイチだし」
「これがウィンドの書なのか?」
「何だ、分かってて持ってたんじゃないのかよ」
「分かるわけないだろ。読めないし。つーか、背表紙すら魔法文字で書かなくてもいいと思わないか?」
「さぁ? 俺は普通の文字と一緒に覚えたから。むしろ読めないほうが不思議だ」
「……そんなもんか」
考えてみたら、自分も弓に関しては文字を覚え始めた頃には既に練習していた気がする。魔法を武器にする者にしてみれば、似たような感覚なのだろう。
ともあれ、男――アーサーは、店先から別な一冊を取り上げながら言葉を続けた。
「他のお勧めは、やっぱこれかな。サンダーの魔道書。こっちがいいなら、城に戻れば俺が昔使ってた奴があるから、ここで買わなくても欲しけりゃやるよ」
「ファイアーは?」
「……あれはお勧めしないな。炎精はちょっと癖が強いから。素養があるなら話も変わってくるけど」
「じゃ、ウィンドかサンダーの二択か……」
「ウィンドも、セティか誰かに聞けば持ってるんじゃないか?」
「かもな」
「一応聞いてからにしたほうがいいぜ。急いで買わなきゃならないもんでもないんだろう?」
「あぁ」
生返事を返しながら、レスターは本を手の中で持ち直し、何とはなしに表紙に綴られた文字に指先を当てた。
おそらくウィンドと綴られているのだろう文字をなぞってみても、特に感じるものはなかった。

ラナが高等司祭に昇格したのは、つい先日のことだった。
叙勲を受ける――そう聞いた時は、特別な思いは浮かばなかった。ただ一言だけ「おめでとう」と言った。
杖魔法の素養は母譲りかと一瞬思ったが、すぐに自分で否定した。改めて考えてみたら、母も血筋的には特に杖魔法の素養を継ぐ人間ではなかったから。父も騎士の出であるし、その娘のラナが特別な素養を継いでいる道理がない。
かといって、才能の一言で片付けることは憚られた。
……もし才能があったとしたら、それは魔法の才ではなく、努力の才だと思った。
妹の勤勉さについては、兄としても学ぶべきだと思うことが多々あった。弓の素養に恵まれた自分とは違い、素養や才能が与えるべき何もかもを、ラナは努力一つで勝ち得てきたのだから。
その妹の努力が認められたのなら、それは兄としてもきちんと讃えるべきだと思った。だから素直に賞賛した、それだけだった。

――思うことがあったのは、その後だ。
ラナが続けた……たった一言の、その言葉。

「それでね、お兄様……私、新しく魔道書を持ちたいの」

「どうして、なんだ?」
「どうしてって?」
「お前、あんなに、魔道士になるの嫌がってたじゃないか」
セティから譲り受けたウィンドの書――昇格を祝うプレゼントとしてはあまりにも殺伐としたそれを、手の中で弄ぶ。
対してラナは、何かを思い出すように、虚空を見上げて「んー」と首を傾げた。
「……そうね、兄様は知ってたんだったわね」
「あぁ」
――ラナがプリーストを志した理由を、正しく理解している人間は少ない。多分、幼馴染であるセリスやラクチェらも、その理由の半分しか知らないだろう。
傷ついた人を癒せるように。それは動機の半分であり、そして建前でもある。
隠された……もう半分。
レスターは、覚えていた。

幼かった頃の話。
ティルナノグを守るために、母エーディンが魔道書を片手に敵を屠る様を、二人は何度かその目にしたことがあった。
その、最初の一回。

初めて見た、優しく美しい母の、もう一つの姿。

人を癒す奇跡と、人を殺める罪とを、同時に認められた母。
誰によって認められたのか、当時の二人は知らなかった。
当時のラナが理解できたのは……その目で見た、その場で繰り広げられた光景だけだった。

盛る炎を操り、人の命を奪う母を見た後、ラナは泣きながら言ったのだ。

――私、プリーストになる――
――魔道士には、なりたくない――

「嫌だったんだろ? 人を傷つけることも、殺すことも」
「えぇ。今だってそうよ」
「何でなんだ? 別に無理して魔道書を持たなくてもいいじゃないか」
「じゃあ、兄様。どうして兄様はそれを持ってきてくれたの?」
「……お前が使いたいっていうからだろ」
「渡さなければいいじゃない。駄目なものは駄目だって言えばいいんだわ。嫌なんでしょ? お兄様が、私に人を殺して欲しくないの、私知ってたもの」
「…………」
ゆっくりとした、しっかりとした足取りで、ラナがレスターに近づいてくる。
そして、レスターの手から、ごく自然な所作で魔道書を受け取った。
「でも……多分、一緒よ。私の考えたことと、お兄様の考えたこと。それに……多分お母様も、昔同じことをお考えになられたんだわ」
先のレスターと同じく、表紙に綴られた金糸の文字を指先でなぞりながら、
「……ずっと、戦場に戻ろうとする人を癒して、送り出してきたわ」
思い出すように、目を細めて、
「傷が癒えればまた戦いに出ていくと分かってて、みんなの傷を癒してきた。いつからだったか思い出せないけど、私、その意味を考えるようになったの」
「…………」
「考えて、考えて……みんなの傷を癒すことが、ただその人の命を救うことじゃない、もう一度前線に出て、命を奪ったり奪われたりするかもしれない戦いに身を投じてもらうことなんだって気づいたとき、私、怖くなった。ただ助けているだけのつもりで、自分がどれだけ罪深いことをしてきたのかって、怖くなったの」
お兄様はずっと前から知っていたでしょうね、と笑った。
何も言えなくて、見下ろすことしかできなかった。
「でも私、杖を捨てられなかった。軍を抜けることも、考えられなかった。だって……私だって、覚悟して軍に飛び込んできたんだもの。死ぬ覚悟も、汚れる覚悟も、全部ちゃんと、私の中にあったんだもの」
小さな声。呟く声に反応して、魔道書が小さな風を一つ生み出す。
揺れる髪。顕になったラナの瞳に、迷いはない。
「だから、今度こそ、ちゃんと自分の罪を認めて、受け入れたいの」
それは、決意に裏打ちされた、確かな言葉。
「今までみたいに、人が死ぬことに目を背けて杖を使いたくないの。傷つけたくないけど、殺したくないけど、でもそれ以上に、戦いたいの。杖を使うことも、魔法を使うことも、どちらもちゃんと罪であることを認めて、受け入れて……それでも、みんなと一緒に世界の平和を願いたいの」
今なら、二人ともが分かるから。
人を癒す奇跡と、人を殺める罪とを、同時に認められた母。
……それを認めたのは、神でも神官でもなく、母自身であったこと。

あの時の母の姿こそが、逃げずに立ち向かった証。

「だから、今なら魔道書も持てる……ううん、持たなきゃいけない、そう思ったのよ、兄様」
「そうか」
言うべき言葉は多くないと思った。
自分で心を決めた相手に、あれこれと偉そうに告げる必要はないことを、レスターはよく知っていた。
ただ、本を渡して空いてしまった手を、そのままラナの頭にぽんっと乗せた。

同じ軍の仲間として、言える言葉は特にない。
……それは、ただ肉親として、伝えておきたかった言葉。

「あまり、無理するなよ」
「うん、お兄様もね」
そして、魔道書を片手に、大事に使います、と笑った。
血の繋がった家族としては、ただそれだけで十分だった。

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