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カエルの子はオタマジャクシ

事の始まりは、いつもといえばいつものことだが、妹のパティだった。
「お兄ちゃんお兄ちゃん」
「何だよ」
「はい、これプレゼント」
「……どういう風の吹き回しだ?」
疑いの眼差しを隠す気にもならず、あからさまな態度で尋ね返した。……幾ら俺がお人よしだと言っても、この妹のために何度も何度も何度も何度も迷惑を被ってきたのだ。いきなりこんなことを言われたら、さすがに警戒の一つもする。
が、パティは特に表情を変えず、あっけらかんとして答えてきた。
「べっつにー、深い意味なんてないわよ。ただ、セリス様からこれはお兄ちゃんに渡してくれって言われて」
「皇子から?」
軍の総大将の名前を出されては、無碍にするわけにもいかない。
パティがこくんと頷く。
「うん、なんか、戦略的にすっごく重要な意味のあることだからって。必ず身に着けておくようにって言ってたわよ」
「…………」
そうしてみて、俺は初めて、差し出されたままのそれをまじまじと見つめた。
……一見、何の変哲もない腕輪である。少し古びた感はあるが、それ以外は特にどうということもない。大きさも標準だし、装飾も平凡。いや、これはもうはっきり地味というべきか。
アクセサリーなんてものは男が女に貢ぐものだと相場が決まっているが、多分、これを渡されて喜ぶ女は珍しい部類だと思う。一般的には、センスを疑われ、下手すれば受け取ってすら貰えないかもしれない。
ともあれ、
「本当に、セリス皇子の指示なんだな?」
「だからそう言ってるじゃない」
「……分かった」
どういった意味があるかは分からないが、妹ではなく総大将の指示であるというのなら――しかも戦略的に必要なこととあっては、従う他はない。
腑に落ちない点については、後でセリスに会った時にでも尋ねればいいだろう。
「じゃ、用事はそれだけだから」
「あぁ」
「……あ、お兄ちゃん」
「ん?」
一度は立ち去りかけたパティが、不意に足を止めて再びこちらを向く。
……その目つきに、嫌な予感を覚えた。
それは、つまりは経験上、妹が何か良からぬことを企んでいる時の目に他ならなかったからだ。
「盗賊ってね、やってみると、案外面白かったりするのよ」
「……まだやってんのか。何度も止めろって言ってるだろ」
「うん、まだやってるの。だって仕方ないんだもの」
「仕方なくないだろ。金なら俺が稼いでやるって言ってるだろが」
「うん……そうだね」
そうだね、ともう一度呟いてから、今度こそパティはこちらに背中を向けた。
何やら中途半端な会話な気がして、俺はしばらく、離れていく妹の背中を見送っていた。

……今にして思えば、あの時点で、疑ってみればよかったんだ。
そう、素直に腕輪を着けてみる前に――

ドスッ!!

遠く近く聞こえた鈍い音。
……何度聞いても、嫌な音だと思う。
肉に鏃が食い込んだ音。乱戦の只中であれば聞こえるはずもないが、最後の一人を倒す時――戦場の喧騒が静まる直前だけは、稀に大きく耳に届く。まるで訴えかけるように。
それは、確かにそこにあったはずの命が、一方的に絶たれる音。
それは、一人の生ある者が、ただの肉塊に成り下がる音。
それは、自分の罪が、また一つ増えたことを知らせる音。
――だから、とどめを刺さねば自分の身が危ないと知りながらも、敵を全滅させるのは好きではなかった。降伏を呼びかけられるならそうしたいくらいだ。
自分の居場所を知られたら、それこそ懐に入られて一方的に殺されるだけだから、そんな余裕は滅多にないけれど……
「これで、今日の仕事は終わりか」
身を隠していた木立にそのまま背を預け、遠い本隊の位置を適当に振り仰ぎながら、一息つく。
今日のファバルの配置は、本隊とは離れた別働隊。それも、珍しくも単独行動を命じられていた。名目上は、いつどこから沸いて出るか分からない竜騎士に対する、保険の遊撃隊ということらしい。
実際、何度か竜騎士の単騎または編隊と出くわし、その全てを墜としてきた。
……が、先ほど味方のフィーが終戦の合図を振りながら近くを飛んでいたから、これ以上は敵とは会わないはずだ。今の相手にぶつかったのも、多分悪い意味での偶然だろう。
さて、
「何度殺しても、嫌なもんだな……」
風に運ばれ、僅かに漂う血の匂い。
他に誰もいないからこそ――生きている者がいないからこそ、口に出して言える。もしこの場に他に人がいれば、こんなことは言えないし、自分も言わない。そんな資格は、金を目的として人を殺した日に捨ててしまった。
けれど、思いが頭に浮かぶのは止められない。
口に出さないだけで、心の中ではいつも思っている。
とうに血に汚れてしまった今も……早くこんな、殺し殺される場所から解放されたいと、いつもいつも考えている。
「……まだ甘いのかもな、俺も」
呟きながら、木立を離れて歩き出す。風上のほうへ。……竜騎士たちの死体の転がる場所へ。
光の矢が竜の体ごと竜騎士を射抜いたこと、その竜が割と近場に墜ちたところまでは確認していた。だがそこからは分からない。生死を確認しなければならない。そしてもし生きているのなら、降伏するならよし、しないなら、場合によっては、とどめを刺さなければならない。
自分の安全のために。そして、遠く離れた仲間のために。どれだけ甘い考えを持っていようと、行動はいつも非情でなければならない。
……生きていてほしいのか、死んでいてほしいのか、それすらもよく分からない。
ともあれ、
「…………」
風に導かれること少し。ごろごろとした岩と小さな茂みを幾つか越えた先で、死体はあっさりと見つかった。
それなりの高度から地面に叩きつけられたはずの竜騎士の死体は、だが竜の体がクッションにでもなったか、致命傷である矢傷を除けばいたって綺麗なものだった。
だが、それも今だけだろう。
吹きさらしの岩場。広がる死の香り。もう動くことのない肉塊は、やがて野鳥の餌にでもなって果てるはずだ。
(だからって、わざわざ埋めてやるつもりもねぇけど)
何となく立ち尽くし、力尽きた者の末路を憂えて。いつか自分もこうなるのだろうかと、あまり面白くないことを考えてみる。
せめて少しでも人間らしく逝かせてやろうと……自分も最期の時はそうありたいと、腰を折り膝をつき、僅かに開いたままの瞼を閉ざしてやる。
と、

「っ!」

不意に、よく分からない、今まで覚えたことのない衝動が、大きく胸を突き上げた。
思わず弓を取り落とし、空いた手で胸の辺りを強く押さえた。

それでも動悸は止まらない。
ドクン、ドクン……と、強く脈打つ心臓の音が脳すらを揺さぶる。
全身の血が騒ぎ出す。何かが思考を支配する。
目が離せない。目の前の死体から。
――否、

ファバルはようやく、自分の視点が、死体の一点に釘付けになっていることに気がついた。

――刹那の間、光が駆け抜ける程度の、思考の停止。
その隙間を埋めるように、数日前の記憶がフラッシュバックした。

それは、妹パティと交わした、とりとめもない会話だった。

「何度言ったら分かるんだ。お前、マジでいい加減、盗みは止めてくれよ」
「そうは言うけど、お兄ちゃん。あたしだって別に、好きで盗んだりしてるわけじゃないのよ。でもさ、解放軍の台所の話もあるし、仕方ないじゃない」
「そりゃそうだけど……けど、海賊の子は盗賊かとかって、面白がって言ってる奴もいるんだぜ。勿論俺、ぶっ飛ばしてやったけどさ」
「言いたい人には言わせておけばいいのよ」
「けど」
「けども何もないの」
「…………」
「それに、お兄ちゃん、知ってる?」
「? 何を?」
目的語を言ってもらわないと分かるわけもない。ファバルは正直に首を傾げた。
対して、パティの反応は、
「海賊の子は盗賊……だけじゃないのよ、あたしたち」
どこか面白がるように、パティはぽつりとそう言った。

(何だよ、これっ)
目が離せない。引き離そうにも離れてくれない。……自由にならない。
体が動かない。立ち去ることも出来ない。動悸はますます激しくなり、目が充血しているのか視界が赤く沈んでいく。
全身の血が逆流し、耳鳴りは酷くなる一方。その向こう側に、意識までも持っていかれそうなほどに。
理性が壊れる。いや、この衝動に食われていく。
まともに考えることが出来ない――

そんな中で、
悪魔が、そっと囁いた。

『結構、入ってそうだな……』

……そうだ。
視線が吸い寄せられて、振りほどけないその先に。
死体の腰に下げられた、小さな袋が一つ。
その中身が、触れてもいないのに、なぜか分かった。
金だ――と。
(駄目だ)
無意識に、この思考の果てが読めた気がして。先を取って否定した。
だが、思考は止まらない。
囁きも動悸も止まらない。
『誰も、見ていない』
囁く。血に眠る悪魔が。他には誰もいないと。誰もこの場を見ていないと。
彼の所業を見咎める者はどこにもいないと。
そうだ。よく考えてみれば、何を怖れる必要がある。
どうせこのまま放置しても、野晒しの屍と共に忘れられるか、野盗が拾っていくかするだけだろう。
ならば、今自分が拾っていっても、何も問題はないではないか。
戦利品として、黙って懐に入れてしまえば――
(駄目だっ!)

抗う。何かがおかしいと。こんな考え方は、決して自分の考えじゃないと。
逆らう。何を迷うことがあると。正直になってしまえばいいじゃないかと。
躊躇う。冷静になれと。非道を許してこの先一体何が出来ると。
流される。戦にモラルなどないと。堕ちるところまで堕ちてしまえば楽になれると。

せめぎ合う二つの感情。理性と衝動の狭間で揺れ惑う思考。
掻き乱され散り散りになった精神状態で、無意識に取り落としたままの弓に縋りつき、
「――――っ!」
聖弓が発した力の波に、僅かながら盛り返した理性が冷静さを繋ぎ止めた。
そして……

「そこだ! 盗っちゃえ! 盗っちゃえってば!」
「ちょ、パティ、声大きいって!」

「…………」
確かに聞き取ったその声に、一気に脳内が覚めた。いや、冷めた。
反射的に、右手に嵌めていた腕輪を、むしり取るように外した。
からんと乾いた音を立て、古びた腕輪が岩場に転がり、やがて止まった。
……止まる頃には、先の衝動はすっかり静まっていた。

荒い息を一つ吐く。
それから、猛然と、背後の一方を振り返った。
同時に、手にしたままのイチイバルの弦を躊躇いもなく引き絞り、
「おい手前ぇら! こそこそ隠れてないでさっさと出てきやがれ! 出てこねぇとその岩ごと射殺すぞこらぁっ!」
「あら、バレちゃってる」
「あー、だから声大きいって」
悪びれもない声と、困ったような声と。
どこをどう聞いても、よく知る声――パティとセリスの声である。
「しょーがない、観念しますか」
「って、全然懲りてないっぽいね、パティ」
「まーね」
「お前ら……」
やがて素直に出てきた割にやっぱり悪びれもしない会話に、憤怒冷めやらぬファバルのこめかみが更にひくつく。
湧き上がる怒気のままに、彼は鼻息も荒々しく二人へと詰め寄った。
「お前らの仕業だろこれ全部! 一体どういうことだこりゃあ!」
「えー、だって、お兄ちゃんってばあたしに盗み止めろ止めろってしつこいじゃない。だから、そんなこと言えなくしちゃえばいいと思ったのよ。失敗しちゃったけどさ」
つまんないとでも言いたげに唇を尖らせながら、パティがあっさりと事の次第を白状する。
「お兄ちゃんも盗みを覚えちゃえば、もう止めろなんて言えなくなるでしょ? だから、要は既成事実さえ作っちゃえばいいと思って」
「あの腕輪は何なんだよ!」
「盗賊の腕輪っていうの。身に着けると誰でも盗みがしたくなる魔力が掛かってるんだって。ほんとはちょっと眉唾かなーって思ってたんだけど、思ったより効いたみたいね」
「物騒すぎてマジ引くわ! 捨てちまえそんなもん!」
「っていうかあんなとこに放置しないでよ。結構高いのよあれ」
「どうでもいいわ! つーか聞けや人の話!」
「良くないわよ。ちゃんとこれからも身に着けといてくれないと」
「そこまで聞いて誰が着けるかぁっ!」
がーっと怒鳴るファバルに対し、やっぱりどこ吹く風なパティ。その様子には勿論のこと、反省の欠片も見受けられない。
その見事なスルー具合に多少ぐったりしながらも……埒明かず、ファバルは今度は彼女の隣に視線を移す。
「う……」
ぎろりと睨まれ、セリスが一歩身を引いた。
どこをどう見ても、それは蛇に睨まれた蛙の構図を呈していた。
「あんたまで付いていながら……一体どういうことなんですかねぇ? セリス皇子?」
「い、いや……ほら、やっぱ軍一つ切り盛りするには先立つ物が必要なわけで……パティの協力がなくなるのは私としては困るというか……」
「それが、この茶番に付き合った理由ってわけですかぃ?」
「えっと……それに、イチイバルの修理費も馬鹿にならないしさ、でもここから先はやっぱ聖武器に頼らざるをえないし……ここは一つ、自分で稼いでもらいたいなぁと……」
「へぇ? それで?」
「え、いや、それでって……?」
「言いたいことはそれだけですか? 言い残したことはありませんね?」
「……ファバル、頼むから、謝るから……お願いだから、そのイチイバル引っ込めて……」
ぎりぎりと鳴る弦。今にも光の矢を撃ち出さんとしているイチイバルに、セリスは泣きそうな顔でそう謝るのだった。

――その後、本隊に戻ったファバルのところに、事の次第を聞いたらしいシャナンがやってきた。
そして、口を開いていわく、
「ところで、お前らの父親も盗賊だったんだぞ」
が、それを聞いてもファバルは特に表情を変えなかった。
つまりは、やっぱり怒りの抜け切らぬ様子で、シャナンに盗賊の腕輪を押し付けながら、
「俺は、父さんとも母さんともパティとも違うんです」
きっぱりはっきり、そう告げたのだった。

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