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Scattered Stars

よく晴れた夜、天を仰ぐと思い出す。
そっと寄り添った彼女から、ふわりと香った清楚なコロン。
寒そうに身じろぎしたときの、少しだけ触れ合った手の暖かさ。

そして、彼女が自分に向けた、困ったような小さな微笑み……

あれがいつのことであったか、確かなことは覚えていない。
分かっているのは、それがだいぶ前のことだということ。そして、何かのパーティーだったということ。長らく続く平和の中、大した道楽もない貴族たちが何かにつけてパーティーを開いていた頃だから……多分あれもそうしたうちの一つだったんじゃないかと思う。
出席者は、みんな貴族やその子供たち。
――そのパーティーの間中、僕はずっと、彼女を横目で追いかけていた。
最初のうちこそ、なるべくさり気ないふうを装っていたんだけど。レックスに「バレバレだ」だと言われてからは、少なくとも彼の前では隠す理由がなくなったわけだから、少し露骨に覗き見たりもした。「普通に傍に行って話をすればいいのに」とも言われたが、緊張しちゃってわけが分からなくなりそうだから、今日のところは止めておいた。
口に運んだ料理の味も、含んだ飲み物の香りも、何一つ思い出せない。けれど、盗み見た彼女の横顔は、立ち姿は、微笑みは、きっとずっと忘れない。
その美しさに目を引かれ、小鳥の囀りのような声に惹き込まれ、その微笑に釘付けになった。
恋と呼ぶには早すぎるが、ただの憧れともまた違う。
そう、敢えて名前をつけるなら……

(……予感、かな)

何一つ確証などないのに、心のどこかで知っていた。
確信めいた何かが、胸の奥で囁いていた。

――僕はきっと、彼女のことを好きになるって。

「……あれ?」
「ん?」
思わず声をあげてしまった僕に、すぐ隣で料理を掻っ込んでいたレックスが顔を上げた。
口をもぐもぐ言わせながら、不思議そうな顔をする。
「どうかしたか?」
「あ、いや、何でもない」
個人的には何でもなくないのだが、レックスには関係ないから、やっぱり何でもない。
が、僕のその慌て具合で、彼は理由をある程度察したようだった。
何かを考える刹那の間を挟み、彼は辺りを見回して言った。
「んー……いないな、どこ行ったんだ?」
「何でもないってば」
「嘘つけよ。エーディン公女を探してるんだろ?」
「……探してなんかない。テラスに出て行ったところを見た」
「なんだ、そうなのか」
軽く答え、口の中の物を飲み下して。
そして、レックスはにやりと斜めの笑みを浮かべた。
「で? 追いかけていくチャンスを狙ってるわけか?」
「そんなことしないよ。……ただ、外はもう暗いし、いくらテラスとはいえ女の子一人じゃ危ないんじゃないかって……」
「だったら早く行って守ってやればいいじゃん」
「簡単に言うなよ」
「言うよ」
「むぅ」
あくまでからかうレックスに付き合ってられなくて、僕はふいっと顔を背けた。
そしてそうしてみて……視線の置き場所に選んだのは、やっぱりテラスの方角。ここからだとちょうどカーテンの陰になって見づらいのだが、それでもやっぱり外の暗さは分かったし、ホールの外れであることもあって、人影も少ない。
(……やっぱり、ちょっと危ないよな……)
おせっかいだと分かってはいるが、それでも心配なものは心配。
――そんな時。
「少し冷えてきたな」
新しい料理を皿に盛りながら、レックスが不意に呟いた。
「エーディン公女も、今日は修道服じゃなくてドレスだったよな。あの格好じゃ外は少し寒いんじゃないか?」
「そ、そうかな?」
「あぁ。何か羽織るものでもありゃいいんだろうけど、それらしい物もここじゃ……」
言いながら、何かを探す仕草をするレックスが、かなりわざとらしく僕のマントに目を止める。
「あ、そのマントでいいじゃん。掛けて来てやれよ」
「え、これ?」
「そう、それ。結構厚手だし、服も髪も崩れないだろうし」
「……でも……」
「それとも、このまま放っといて、風邪引いた公女を看病するほうを選ぶか?」
「そ、それは駄目!」
慌てて答えて、レックスがますます笑みを深くしたことに気がつき、その術中にはまったことを知った。
そもそも、最初からこういう流れになるって分かってて、彼はこの話を振ってきたのだ。
まぁ、今更気づいたところで後の祭りなんだけど。
「だったら、さっさと行ってやれよな。ほらほら」
「むぅ」
言い返す言葉が見つからず、僕は頬を膨らませた。
でも結局は、彼に背中を押されるまま、テラスのほうへと歩き出した。

テラスの隅のほうは、案外部屋の喧騒は届かないようだった。思っていたよりずっと静かで、思っていたよりずっと暗かった。
その暗闇の中で、淡いピンクのドレスと、流れる蜂蜜のような金髪が、闇を押しのけて輝いて見えた。
ホールに背を向ける格好で、エーディンは一人、夜空を見上げていた。
僕が掛ける言葉を迷っている間も、彼女は一度も振り向かなかった。こちらに気がついている様子もなかった。
――結局、迷い迷って、僕は言った。
「……風邪引くよ?」
「!」
彼女がぱっと振り向くと同時、黄金の髪が波打った。
その軌跡さえ、綺麗だと思った。
いっぱいに見開いたトパーズの瞳が僕を見つめ……すぐににこっと笑みに緩んだ。
「びっくりしたわ。いつからそこにいたの?」
「さっきからずっといたよ。それより、寒くない?」
「あぁ、それは平気。ありがとう」
「ならいいんだけど。こんなところで、一人で何してるの?」
「ん……少し熱気に当てられてしまって。涼みに出てたの」
柔和に答えながら、彼女の視線は再び天へと吸い上げられる。
つられ、僕も空を見上げた。
雲一つない夜空。半分以上欠けた月も、あちこちで瞬く星も、今日はとてもよく見えた。
「綺麗よね」
ぽつんと呟かれた声が、帳が下りた世界にゆっくりと波紋を広げる。
その声の心地よさに酔いしれながら、僕は頷いた。
「そうだね」
「私、星空って好きなの。よく晴れた夜の空は特に好き」
「僕も好きだよ。でも、この空じゃ少し足りないな」
「え?」
大きな目をぱちぱちさせたエーディンの可憐さに、鼓動が少し早くなる。
落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせ、二回ほど深呼吸を繰り返す。
せっかくの会話のチャンス。失敗なんてしたくないから……ゆっくりゆっくり、言葉を選ぶ。
「もう少し人家から離れた場所だと、もっとたくさんの星が見えるんだよ。それこそ満天に輝いてて、手を伸ばしたら届きそうなくらいなんだ。城とかだと明るいから、星も少ししか見えないんだって、以前兄さんに教わってさ。レックスがヴェルトマーに泊まりに来た時、二人で城を抜け出して……近くの丘で見た夜空は、本当に綺麗だったよ」
「……子供二人だけでなんて危ないわ」
「うん、そうなんだけど。でもそうしないと絶対に見れないって思ったから」
後でバレてしこたま怒られたけどね、と続けると、エーディンは口元を隠して笑ってみせた。
その自然な笑顔があまりにも可愛らしくて、僕は思わず見惚れていた。
もっともっと、その笑顔を見せてほしくて、知らず次の言葉を捜していた。
――その時だった。
「くしゅんっ」
エーディンが漏らしたクシャミで、はっと我に返った。
「あ、ほら、これ羽織って」
レックスの言ったとおりにするのはちょっと癪だったけど、それでも他に物がないんだから仕方ない――なんて自分に言い訳しながら、僕はマントを外そうとする。
けれど、エーディンは首を横に振った。
「ううん、大丈夫だから」
「大丈夫なもんか」
「平気よ。それより、アゼルだって寒いでしょう? もうホールに戻ったほうがいいわ」
「僕こそ平気だって」
しばらくそんな押し問答を繰り返し、だが二人とも一歩も退かず。
……結局、彼女にしては珍しいほどに頑固なエーディンに疑問すら抱きつつ、僕は少し考えた。
彼女は全く退く気はないらしく、けどそれは自分も同じこと。
二人とも残るにしても、生憎と、マントは一人分。
ならば……
「じゃあ、こうするしかないね」
「え? ……きゃっ」
悲鳴をあげる暇があったかどうか。
彼女のドレス、彼女の流れるウェーブの髪ごと、僕はマントに包んでやった。
ただし、僕自身、マントを外したわけではない。彼女に触れそうなほど近づくことで、一枚のマントで無理やり二人を包んだだけだ。
勿論、これにはエーディンも慌てたみたいだった。
「あ、アゼル!?」
「仕方ないよね。こうしないと僕も寒いし。でもエーディン一人を寒がらせるわけにもいかないし」
「でも」
「これが嫌なら、すぐにホールに戻ってもらうけど」
「…………」
この言葉で、エーディンはぴたりと大人しくなった。言いたいことはあるのだろうが、少なくても文句は言わなかった。
(僕、結構とんでもないことしてるなぁ)
今更そんなことを思いながら、でも他に選択肢もないよなぁなんて付け足して。
マントがもう少し深く彼女に掛かるようにとぎりぎりまで近づき。
また、夜空を見上げた。
無意識に呟いていた。
「エーディンって、意外に頑固なんだね」
「……アゼルもね」
今度こそ本当に諦めたのか、彼女は寒そうに身じろぎし、自身でもマントを引っ張って身を包んだ。
夜風に乗って、ほのかなコロンの香りが、僕の鼻腔を刺激した。
マントの下で、こつんと手の甲が触れ合った。
それに同時に気がついて、二人揃ってお互いを見つめて。
口を開いたのは、エーディンのほうが先だった。
「いつか、私も、満天の星空が見てみたいわ」
「うん。いつか見に行こうよ」
「えぇ」
貴族の娘にとって、それがどれだけ難しいか、僕だけじゃなくてエーディンだってよく分かっていた。
だから、彼女が浮かべたのは、どこか困ったような微笑みだった。
……さっき見せてくれたみたいな自然な笑みが見たいなと、僕は正直に思った。

「――私も覚えているわ」
やっぱり星空を見上げては思い出すの、と続けて、エーディンはアゼルに身を寄せる。
いつかと同じように、一つのマントを二人で分け合いながら、二人は星空を見上げていた。
シレジアの冬。ふと晴れた夜の空は、本当にどこまでも星の海だった。
「本当に叶えてくれるなんて思わなかった」
「僕もそう思ってたけど」
「ふふっ」
マントの下、かつて触れ合うだけだった手は、今は互いに握り合う――それどころか、肩を抱くことすら厭わない仲。
照れも何もなく……ただ二人揃ってこうして宇宙を漂っているかのような錯覚に、満足している。
これが、手に入れた幸せ。
――と。
「そういえばね」
「ん?」
不意に呼びかけられ、アゼルは自身の腕の中の恋人を見下ろした。
エーディンの顔には、笑みがあった。
作られた笑みではなく、自然に浮かんだ、けれど彼女が滅多に見せないような笑み。
そして、彼女はどこか楽しそうに、その秘密を明かした。
「さっき、私があの時、困ったような笑顔だったって言ったじゃない?」
「うん」
「それね、貴方が思ってた理由とは少し違うのよ」
「え?」
思わぬ言葉に、アゼルは男にしては大きな目を何度も瞬かせた。
エーディンは、その耳に唇を寄せて、そっと囁いた。
「あの頃、私よりもアゼルのほうが背が低かったでしょ? だから、ちゃんとマントに包まるには少し膝を折らなきゃいけなくて……それで困ってたの」
「えぇ!?」
声を裏返して驚くアゼルに、エーディンはやっぱり楽しそうに忍び笑いを漏らす。
「くすくす」
「むぅ」
憮然としたのは、返す言葉がなかったからか、単なる照れか……多分両方。
ますます面白そうに笑う恋人に困り果てながら、アゼルは逃げるように再び空を見上げた。
その視線の先、散りばめられた宝石のような星々の間を、一粒の流星が駆け下りていった。

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