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貴方と共にありたい

城内の喧騒など露知らず。ギィギィと軋みながら、一定間隔で揺れる揺り椅子。
窓越しに見る、一面の銀世界。
音もなく、深々と降り来るのは、何者にも汚されない純粋な白だった。
雪を見たのは初めてではない。だが海流の関係で年中暖かいアグストリアでは、一度として見たことがなかった。海賊の頭領の座を継ぐ前も後も、冬にシレジア近海まで出たことはなかったから、海上ですら見る機会はなかった。
こうして雪が降る様を眺めるのは何年ぶりだろうと思う。
過去に見た雪――それは、本当に遠い昔。しかも、つい先日まで完全に忘れていた、おぼろげな記憶の中にある。
ユングヴィ。ここよりずっと南に位置する、自分の生家。
イチイバルを手にしてようやく思い出した。あの国も温暖な気候にあるが、四季もきちんとある。冬にはそれなりに冷え込むし、積もることは滅多にないが、一年に数回は雪も降った。
記憶の中、一度だけの、大雪の日。そっくりな顔をした双子の妹と共に、乳母や召使たちが止めるのも構わず、積もった白銀の絨毯の上で転げまわって遊んだことを覚えている。
あれは……確か四歳の冬のこと。
――翌年の夏、乗っていた遊覧船が海賊に襲われ、自分はオーガヒルに連れ去られた。……以来、あの家に帰ることはいまだ出来ずにいる。
(……ユングヴィ……か……)
暗い曇天と、そこから零れるように舞い落ちる雪の欠片を眺めやりながら、
ぽつりと、思った。
今頃は、あの辺りにも、こうして雪が降っているのだろうかと。

どれだけ、そうして一人、物思いに耽っていただろう。
部屋の空気が動いたのは、曇天が更に暗くなり、窓越しの雪がやがて吹雪へと変化した頃だった。

コトッ

「! 誰!?」
他には誰もいないはずの部屋。背後で聞こえた突然の物音に、ブリギッドは反射的に椅子を蹴って立ち上がり、語気荒く叫んでいた。
が、
「俺だ」
宵闇越しに答えたのは、無意識に愛用の弓すら構えようとしている彼女を前にして、なお全く動じていない声。
音の元は、部屋の真ん中辺りにある小さなテーブル。その上に小さな鍋と椀が置かれた音らしい。
そして侵入者は、そのすぐ横に立っていた。
「火も入れずに、そんなところでぼーっとして。風邪引くぞ」
低い声。いつも頭に巻いているバンダナは解かれ、少し長めの茶色の髪はそのまま肩に落ちている。
ちらりと視線を投げてよこす、どことなく怪訝そうな焦げ茶色の瞳。眉をひそめているようにしか見えないが、これが彼にとっては心配の表情なのだと、ブリギッドは知っていた。
「あぁ、ごめん。ちょっと考え事をしてたんだ」
「どうした? 何かあったのか?」
言いながら、ジャムカは暖炉の傍に行き、火を熾し始めた。横に積み上げられた薪から幾つかを選び、灰のたまった炉に組み上げ、火種を落とす。
あらかじめ燃えやすい木を選んだのだろう。火掻き棒で数回突ついただけで、火はブリギッドから見てもはっきり分かるほどに大きくなっていた。
窓の傍を離れ、そちらに歩み寄る。
「火の扱い、上手いんだね」
「そうでもない」
「謙遜でしょ。私もオーガヒルではよくやったことだから分かるんだ。慣れてるの?」
「……シグルド公子の世話になってかなりになる。野宿もしたし、いやでも慣れるさ。それに、ヴェルダンでだってやったことがないわけじゃない」
「? 王子なのに?」
「あぁ」
もう数個薪を投げ入れた後、ジャムカはテーブルの上の鍋を取り、火にかけた。どうやら中身はスープらしい。
鍋が安定したのを見、彼はさっさと立ち上がる。
踵を返した背中越しに落ちた呟き。
「俺は確かにあの国の王子だし、城仕えの召使なんかもいた。けど俺は、自分で出来ることはなるべくなら自分でやっていたからな。他人がすぐ周りにいるっていうのが苦手でね」
「ふーん」
「それより、鍋、焦げないように見ていてくれ」
「了解」
頷いて腰を屈めるブリギッド。部屋内の蝋燭に灯りを入れた後、少し離れたところにある棚を物色し、ワインとグラスを引っ張り出すジャムカ。
元々ある程度温めてあったのだろう。スープが煮え立つのに、そんなに時間はかからなかった。
椀にスープを移そうとし……ようやくブリギッドは、そこに椀が一つしかないことに気がつく。
と、
「俺の分はいらない。体冷えてるんだろ? 早く飲んで温まれ」
ワインの栓を開けながら、まるで考えを読んだように、彼は言った。
言われて見てみれば、彼が出したグラスは一つだけ。どうやらそれがジャムカの分らしい。
肩を竦めながら、ブリギッドは口を開く。
「あたしもそっちがいいな」
「先にそっちを飲んでからな」
「はいはい」
初めから、自分がここで冷えているのに気がついて、スープを取りに行ってくれたのだろう――そう気づいたから、ブリギッドは再び肩を竦めて頷く。
それを見、ジャムカもまた栓の開いた瓶を置いて、新しいグラスを出してきてくれた。

「で?」
「?」
十分に暖まった部屋の中、そろそろ二本目のワインが空になるかというところ。
突然のジャムカの言葉に、ブリギッドは首を傾げた。二人とも口を開くことなく静かに飲んでいたというのに、突然促されても答えられるわけがない。
「何?」
「何かあったのか? てっきり広間にいると思っていたのに、こんなところで一人でいて」
「あぁ、そのこと」
そういえば、それに答えていなかった。
――どこの国でも同じことなのだが、ユグドラルにおいての年の暮れの過ごし方とは、大抵がお祭り騒ぎである。冬の深い宵の中でも、寒空の下でも、人のいるところならどこでも一晩中明かりが消えることはなく、宵越しに前年の苦労と翌年の幸福を願って歌い騒ぎ続けるというのが慣わしなのだ。
セイレーンもご多分に漏れず、今頃広間にて宴の真っ最中。そろそろ日が変わる時間に近づいていることもあり、きっと盛り上がりも最高潮だろう。もしかすると、一部の人間はとっくにダウンしているかもしれない。
……が、この場所は、そうした喧騒とは全く無縁。並びの客間も無人だろうし、黙って座っていれば、本当に物音一つしない場所。
ブリギッド自身、騒ぐことも飲むことも好きなタイプである。それはジャムカもよく知っていることなだけに、どうしてこんな場所にいるのか、彼には分からなかった。
「いや、つまらないことだから。わざわざ言うほどのものでもないよ」
「それで、一刻ほども外を眺めてぼーっとしていたわけか?」
「……そんなに経っていた?」
「あぁ。それに、俺が一度戻ってきたときも、スープを取りに出て行ったときも、全く気がついていなかっただろ」
ぺろりとグラスを舐めて、ジャムカは顔を上げる。
じっと注がれる鋭い視線。そこに込められた言葉は一つ――「隠し事はよせ」。
それを読み取り、ブリギッドは再び苦笑するしかなかった。
「本当に、大したことじゃないんだけどね」
中ほどまでに減ったワインを、一息に飲み干す。
大した酔いは感じない。意識もはっきりしている。
……思考回路がいつもと違うのは、決して酔いのためではない。
「今年は、いろんなことがありすぎて。少し……落ち着いて考えてみたかったから」
らしくないけどね、と付け足して、ブリギッドはごまかすように苦笑を浮かべた。
だが、
「それで?」
思いのほか真剣な目で、ジャムカはそう聞き返す。
目を瞬かせるブリギッド。
「それでって?」
「それで、何をどう考えたんだ?」
「……そうだね……」
言葉に詰まったのは、明確な答えを持っていなかったから。とりとめのないことを、脈絡もなく考えていただけなのだ。問われて答えられるようなことでもない。
けれど、
「そう……ほんとに、いろんなことがあった一年だったなってね」
何とはなしにグラスを置き、広げた両手を、胸の前まで持ち上げてみる。
「この手にあると思っていたいろんなものが、たった一年の間に、みんながみんな、この手をすり抜けていったんだ。それこそ、後に残るものなんて、数えるくらいしかなかった」
思うままに、思いつくままに、言葉を重ねる。
女のものにしては、少し無骨な手。エーディンのそれよりずっと日に焼けている。そして、指先には弓の弦で切った傷が幾つも古傷になって残っている。
オーガヒルでは、気にもならなかったこと。むしろ、それが当たり前だった。海賊の束ねであった育ての父の跡を引き継ぐことを目標に生きてきた自分にとって、『女』とは邪魔な言葉であり、『女らしさ』とは無用の代物だったのだから。
なのに、そうしてまで得てきたものを、自分は全て捨てなければならなかった。
「……でも、その代わりに、たくさんのものを貰った。エーディンに会えて、イチイバルを手にして、新しい居場所も出来て……それに、貴方にも会えた」
女であることを忘れて生きてきた自分が、彼を前にして、そうだったことを思い出した。
自分は彼を選び、彼もまた、自分を選んでくれた。
今までの生き方では知りえなかった、女であることの幸せ――教えてくれたのは、他でもない……ジャムカだ。
「今までの生き方を全て否定することは、多分出来ないけど。でもそれとは別に、ユングヴィ公女としてやっていける気はしてる。それが出来るだけのものを、あたしはここのみんなから貰ったから……だから、来年からはそうやって生きていこうって思ってた。踏ん切りをつけたくて、一人で考えたかったんだ」
「そうか」
とうに空になったグラスを下ろし、口元に薄い笑みを浮かべて、ジャムカは小さく頷いた。
――その時だった。

ガラーン…… ガラーン……

響き渡る重い音。耳を澄ましてみると、似たような音が多重に響いているのが分かる。
「年明け、か」
無意識に窓のほうを振り向き、彼が言った。音は、教会の鐘だろう。日付が、年が、変わったことを知らせているのだ。
「ほら、ジャムカ」
三本目のワインの栓を抜き、彼のほうに瓶口を差し出す。
心得て、ジャムカも空のグラスを差し出した。
たっぷり八分目まで注ぎ、自分のグラスもまた満たして。
手にしたグラスを、かちんと合わせる。
「今年も、よろしく」
「そして、これからも、ね」
「あぁ、そうだな」
すまして言い合い、そして、二人同時に笑い出した。

――今年もまた、激動のものであったとしても。
来年の年明けは、やっぱり彼と、こうやって笑って迎えられればいいと……そう思った。

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