先日のブログに反応してくださった方々へ。
改めて、多大なご心配をおかけしたようで、申し訳ありません。
ていうか、こんなところでも意外に見ていてくださる方がいるようで、正直びっくりです。
昨夜も大きな地震がありました。
皆様ご無事だったでしょうか。
私は、とりあえず、五体満足です。
ただ、精神的には、結構きついものを感じてます。
地震の恐怖より、それに伴う津波の恐怖に、慣れることができません。
目の前で津波の恐怖を見たわけでも、死の危険に晒されたわけではないけれど。地元の惨状を目の前で見てしまったからか、またあれが来るのではないかと考えずにはいられないのです。
思えば、あの地震の日、3月11日から。
本当に、心から安らいで眠れた夜が、どれだけあったでしょうか。
一月が過ぎようとしている今も、事情は二転三転を続けている。
落ち着かない毎日。余震もあって、眠りも浅い。
多分、あと数ヶ月は、こんな日々が続くのでしょう。
それでも、もっと酷い中で、もっと頑張っている人がいる。
その事実と、私なんかのことまで心配してくれる周りの人の気遣いとが、今の自分を支えているのではないかと思います。
4/7の地震の話。
宮城県中部は震度6強。
疲れがたまっていたこともあって、既に寝ていたんですが、揺れ始めた時点で飛び起きました。
でも、揺れが完全に収まるまで、体を起こすことも出来ませんでした。
夜間なこと。高層にいたこと。一人だったこと。
何より、情報が何もないこと。
揺れの間に停電してしまったのでテレビはつかない。ラジオも持っていない。一時的に引っ越したばかりで近所には知り合いもいない。
枕元に置いていたLEDライトをつけて、台から転がり落ちたテレビを見下ろしながら、どうしようかと途方にくれました。
ただ、外から聞こえるサイレンの音に、ようやく頭が回り始めた。
とりあえず、今いるマンションが大丈夫かだけは確認しようと思い立ちました。
扉が開くのを確認し、ふと、近所も完全に停電したわけではないことに気がついて。
関東にいる兄からメールがきたのは、そんな時でした。
すぐさま、情報がほしいと返事を出しました。
そして戻ってきたメール。震源が地元に近いこと、津波警報が出ていることを聞いて、今度こそ青くなりました。
地元は先の地震および津波の影響で震度計が壊れているので、震度すら分からない。
先の津波で弱った自宅が無事かと、すぐに母の携帯にかけました。
けれど、コールはしても、母が電話に出ることはありませんでした。
その後、その母から無事を伝えるメールが来るまでの間、一気に心が弱くなる自分を自覚しました。
潰れた家で、出る人のいない携帯が鳴っている想像。
瓦礫に埋もれた自宅に、再び津波が押し寄せる想像。
本当に、心が押し潰されそうでした。
3月11日もそうだった。
もう、本当に、これ以上はたくさんだと思います。
今日、職場から引き上げるとき、ある人に「頑張れよ」と言われました。
「はい」と笑って答えました。
言葉の通り、頑張ってはいるのです。
でも、どこかで無理しているのも、確かなのです。
たとえ、地震の前の生活に戻れたとしても、この恐怖は拭えないでしょう。
けれど、今はやっぱり、早く以前の生活に戻りたいと、願っています。